震災で混乱...災害弱者が犠牲 双葉病院、患者らの避難が課題

 
双葉病院東病棟1階のデイルーム。多くの患者がここに集められ救出を待った=2011年10月

 震災と原発事故で寸断されたライフライン。原発周辺地域では病院や介護施設の入院患者やスタッフまでも避難を強いられた。震災で混乱した院内、遅れる救出、厳しい環境の中での患者搬送。搬送途中や搬送先で亡くなった人命も多く、病院や介護施設ごと避難することが、いかに困難か浮き彫りになり、国など行政は責任の所在を問われた。

 福島第1原発から南西約4.5キロにある大熊町の双葉病院では、震災当時、同院内と同じ系列で隣接する介護老人保健施設に約340人がいた。第1原発1号機で水素爆発が起きた2011(平成23)年3月12日に最初の避難が行われたが、多くの患者が鈴木市郎院長と共に取り残された。同14、15、16日と断続的に救出は続いたが、搬送途中や医療設備のない搬送先などで患者ら50人が同月末までに命を落とした。

 鈴木院長は当時を振り返り、「同じ状況になったら結果は同じになるのではないか」と話す。双葉病院の問題後、原発立地地域を中心に災害時の病院避難マニュアルの見直しをめぐる議論は進んだが、鈴木院長は「絵に描いた餅にすぎない」と指摘する。震災当時、県の地域防災計画・原子力災害対策編にも災害時要援護者への配慮は重点項目として明記されていたが、実効性を持たなかったからだ。「原発が爆発すれば、死ぬかもしれないという状況下での救出、搬送は計画通りにはいかない」。国を挙げての実効性を持つ議論を望んでいる。

 また鈴木院長は、子どもや家族の安否が気掛かりなスタッフを院内にとどめることや、病院の自力で患者を搬送することは不可能とみる。「ヘリコプターを100機用意することはできない。仮にバスで搬送するにしても、あの時のように道路が大渋滞を起こせば、患者の容体に関わる」。病院独自の判断で搬送した場合のリスクもある。

 鈴木院長は現在も搬送途中に患者が亡くなった問題などについて、原因究明を求める活動を続けている。「原発を人間の住む地域から300キロ離れた所に建設する以外は、この問題の解決法はない」。極限を知る医師が導き出した答えだ。