【起き上がり小法師】〔本宮・三恵舎本宮工場〕レンズ研磨職人の技

 
本宮工場で従業員の仕事を見守る石井社長(右)。「将来を見据えた人材育成が必要」と話す

 葛尾村に工場を構え、約40年間、レンズ研磨を中心に手掛けてきた。東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされたが、震災後わずか約3カ月で本宮市に新たな工場を設け、操業再開を果たした。

 1973(昭和48)年、創業者が葛尾村出身という縁から同村で操業を開始。従業員25人のうち、半数が同村出身者で地域とのつながりが強かった。震災が起き、機械の一部に不具合が生じたものの数日後には業務を再開予定だった。しかし、原発事故による避難指示が出されて事態は一変した。

 「仕事をしたくてもできなかった」。工場長の東海林美好さん(57)は当時を振り返る。従業員の避難先もバラバラで不安はあった。しかし、東京の本社の判断もあり、すぐに新たな生産の場を探し求めた。自分たちで機械類を搬入し、本宮市で事業を再開させた。再開時、震災前とほとんど同じの21人が顔をそろえた。

 本宮市の工場はレンズ研磨の拠点。特にレンズ研磨は職人の技術が重要となる。毎月1度、同市の工場を訪れている石井靖久社長(63)は「今後は将来を見据えた人材の採用、育成など課題はある」と話す。

 また、国や県などの補助金を受けて事業に当たる場合、補助申請にある程度時間を費やさなければならない。業務と並行して申請作業に当たるのが難しい時もあり、手続きの簡素化を望んでいる。