岐路に立つ「仮設住宅」 残される『避難弱者』...転換期が佳境に

 
仮設住宅の除雪を行う住民。入居者が減ってひっそりとしている=会津若松市・松長近隣公園仮設住宅

 東日本大震災から数年は多くの避難者が居住していた仮設住宅だが、震災5年10カ月を迎えた今は復興公営住宅整備や住居再建などで入居者が大幅に減った。応急的な住まいからの自立が進んだといえるが、一方で生活を続けている避難者もおりコミュニティー維持に課題も生じている。「仮設住宅の今」を探った。

 会津若松の大熊町民、自治会活動人手足りず

 「昨年はずっと引っ越しラッシュだった。多くの町民が新天地へと移っていく光景を見ると、仮設住宅に取り残される思いだ」。会津若松市で最大規模の松長近隣公園仮設住宅に暮らす大熊町の村井光さん(67)は語る。仮設住宅が完成した2011(平成23)年から暮らしているが、今年の正月がこれまでで一番ひっそりしていたという。

 同仮設住宅のピーク時は約210戸420人が暮らした。現在は登録上で約50戸60人と減り、実際の入居戸数は約30戸とさらに少ない。人手不足で活発な自治会活動はできず、防犯組織やイベントもいつの間にか消滅した。自治会役員でもある村井さんは「防犯・防火対策、孤独死対策、コミュニティー維持に手が回らない」と歯がゆさを語った。

 同市には最大3000人超の町民が避難し、整備された仮設住宅12カ所に約670戸1440人が住んだ。現在は仮設住宅6カ所の撤去が進み、登録上は約160戸240人だが実数はさらに少ない。仮設住宅に残る町民は、復興公営住宅や新築住宅への転居待ちの人もいるが、高齢者や1人暮らし、生活力のない人も少なくない。

 同町は仮設住宅の管理や入居者の状況把握のため、仮設住宅の集約を進め、復興公営住宅への転居を促している。それでも仮設住宅の使用期限が確定しないため間延びし、労力を使う引っ越しを嫌がる高齢者も多く思うように進まない。町担当者は「いつまでも仮設住宅には住み続けられない。時間がたてば復興公営住宅の空室もなくなっていく。仮設住宅の転換期が佳境を迎えている」とした。

 本宮の浪江町民、転居者交えてイベント

 ピーク時には130世帯、250人の浪江町民が住んでいた本宮市恵向(えむかい)応急仮設住宅。現在は27世帯50人程度に減った。復興公営住宅の完成や、町民が新たな土地で生活を始めたことなどが要因だ。

 仮設住宅には空室が目立ち、春先にはさらに世帯数は減少し、20世帯を切る見込みだ。町の避難指示解除と同時に町に戻る意思の世帯もある。

 仮設住宅では、避難生活の中で生まれた「つながり」を維持するため、年数回、既に仮設を離れた町民も誘って芋煮会などのイベントを開いている。また、2カ月に1回、町の現状などの情報を伝えるための会議も開き、情報共有に取り組んでいる。