生の言葉で...風化に挑む「語り部」 伝え続ける『あの日、あの時』

 

 東日本大震災から6年がたち、以前にも増して風化が叫ばれている。一方、東京電力福島第1原発事故では正確な情報が伝わらず風評を深刻化させるケースも目立つ。浜通りの被災地で活動する語り部たちは福島の現状を正しく理解してもらい、震災と原発事故の記憶を伝えようと、「生の言葉」で語り続ける。

 【大谷慶一、加代さん】 後悔と思い出夫婦で

 「多くの住民が津波で犠牲になったが、そこから目を背けてはいけない。生きている私たちが次の世代に事実を伝えていく」。いわき語り部の会で震災体験や震災の記憶を伝える、いわき市平薄磯の大谷慶一さん(68)と妻加代さん(64)は薄磯を訪れた若者に向かってマイクを握り、語り掛ける。
 大谷さんの自宅があった薄磯は津波で甚大な被害を受けた。大谷さんの自宅も津波で流され、友人らを亡くした。大谷さんは妻と逃げる際、近所のお年寄りを見つけ、一緒に高台にある神社を目指したが、階段を上る途中で握っていた手を離してしまい、助けることができなかった、つらい経験を持つ。
 県内外から訪れる中学生や高校生、大学生の前で、お年寄りを助けられなかったという後悔と、津波で消え去った古里の思い出を話すことを2012(平成24)年から続けている。大谷さんを支えてきた加代さんも語り部として共に活動する。話を聞き涙ぐむ子どももいる。大谷さんは「つらい気持ちを人に話すことでだいぶ楽になった」と語りが自らの心を癒やしてくれたと打ち明ける。「できる限り語り部を続けていく」。大谷さんは今日もバスで訪れる子どもたちの前に立つ。

 【青木淑子さん】 体験からの教訓継承

 「震災、原発事故の話を、過去の体験談で終わらせたくない。体験の中に教訓があるのだから」。富岡町など被災地の実態を伝え続けるNPO法人富岡町3・11を語る会の青木淑子代表(69)は語り部としての活動の意義を強調した。
 約4年にわたって富岡高の校長を務めた縁で、2013(平成25)年から語り部活動を始めた。
 富岡町や郡山市にとどまらず、時には県外まで出張する。「要望があればどこにでも出向いてきた」と青木代表。
 参加者とのやりとりの中で感じたのは本県の現状と参加者が持つ本県のイメージとの大きなずれだった。「避難生活がどのようなものかや、避難がいまだ続いている状況について、初めて知る人もいる」。語り部をする際は被災地の現状と課題、将来への思いを意識して伝えている。
 青木代表は帰還困難区域を除く避難指示が解除されたのを機に富岡町に転入、複合商業施設「さくらモールとみおか」に同会の事務所を設けた。今後は語り部活動を充実させ、伝承者の育成にも力を注ぐ。「体験から学んだ教訓を語り継がないといけない。被災者として私たちにはその義務がある」

 【田沢憲郎さん】 当たり前の大切さを

 「当たり前のことがいかにありがたいか。私たちには語り伝える義務がある」。大熊町から会津若松市に避難する田沢憲郎さん(70)は震災と津波、原発事故による避難を体験した人が語り続けることの大切さを訴える。
 大熊町職員や県原子力広報協会常務理事として原発行政に携わり、原発の安全性を信じて疑わなかった。退職後は平穏な日々を楽しんでいたが、原発事故で故郷を追われ、小野町、飯舘村、栃木県鹿沼市など各地で避難生活を送った。
 そんな田沢さんが語り部になったきっかけがある。2次避難先の喜多方市の旅館で大女将(おかみ)が披露した紙芝居「瓜生岩子の一生」。社会福祉の母とも呼ばれる岩子の生き方に感動し、「現実から逃げずに震災のことを語り継ぐ」と心に決めた。2012(平成24)年7月から震災体験語り部として活動、教育旅行や視察などで訪れる子どもから大人までに地震、津波、原発事故、風評被害について「生の言葉」で語り掛けている。
 「最近は、いじめの問題も表面化してきた」。田沢さんは原発避難に伴ったいじめに心を痛め、「体が続く限り、語り部を続けていきたい」と誓った。「有事の際に、私の言葉が少しでも頭をよぎったらうれしい。自分の命は自分で守ることを学び、危険への意識を高めることが大事だ」。田沢さんは言葉に力を込めた。

 重要度増す活動

 震災と原発事故で被災した現地の視察、観光復興支援などのマッチングを図っている、ふくしま観光復興支援センター(福島市)には、約400人の語り部が登録されている。震災や原発事故の風化に加え、南海トラフ巨大地震など新たな災害の発生が想定される中、自らの体験や教訓を通して命の貴さを伝える語り部の活動は重要度を増している。
 センターによると、視察研修、教育旅行で語り部による被災地案内や出張講話などを希望する企業や団体、学校は徐々に増えているという。既存の団体や地元自治体の働き掛けで語り部の組織化が図られ、視察研修や教育旅行などの受け入れ環境が整い始めたことや原発事故に伴う避難指示の解除が進み、新たに立ち入れる場所が拡大していることなどが背景にある。
 ただ語り部の多くは高齢者。センターの佐藤靖典さんは「風化を防ぐためにも人材の育成が重要な課題になっている」と強調した。