「温泉地」誘客へ岐路 根強い風評、賠償金停止...生き残りへ挑戦

 
各旅館が試行錯誤で風評と闘ういわき湯本温泉

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から、この3月で丸7年。震災以降、宿泊者数の大幅な減少や風評被害などに直面し、数々の困難を乗り越えてきた県内温泉地が岐路を迎えている。2020年の東京五輪・パラリンピック開催などを見据え、国内各地でインバウンド(訪日外国人)の誘客活動が加熱する中、県内温泉地の各宿泊施設も生き残りを懸けた「挑戦」を始めている。

 「宿泊者」震災前の半分

 日本の三古泉として知られ、常磐炭鉱の町の象徴として栄えたいわき市のいわき湯本温泉。食と温かいもてなしが売りの創業65年の温泉旅館「岩惣(いわそう)」は昨年12月から夕食の提供をやめ、最少人数で運営できる素泊まりか朝食のみの宿泊形態「B&B」(ベッド・アンド・ブレックファースト)を採用した。大場敏宣社長(65)は今回の業態変更を旅館存続のための「苦肉の策」と説明する。
 震災直後は原発作業員を受け入れ、赤字分は賠償で穴埋めするなど、震災前よりも厳しい経営の中、のれんを守ってきた。大場社長によると、震災前は年間1億2000万円以上の売り上げで推移、月1000人程度の宿泊者がいたが、根強い風評の影響で、現在の売り上げはかつての6~7割、宿泊者も月500人程度に落ち込んでいるという。
 東京電力の商工業者に対する賠償金が停止した昨年9月以降、経営悪化は避けられない状況で、大場社長は悩んだ末に旅館の看板を残すことを選んだ。板前や仲居ら従業員の人員整理を断行。価格を安く設定できる業態に変え、客層の拡大を図る仕組みにした。
 創業と同じ年齢で、旅館とともに歩んできた大場社長は「本意ではないが、新しいシステムを理解してもらい、再びお客さまに愛される旅館として続けていきたい」と期待する。

 平日は「ビジネス客」増加

 いわき湯本温泉では、岩惣以外にも震災後に業態を変更した旅館が少なくない。
 温泉旅館「こいと」は2012(平成24)年から、老舗旅館「古滝屋」は一時休業を経て14年から、それぞれB&Bの宿泊形態に変更した。いずれも館内に飲食店を設け、自由に食事ができるシステムにしている。
 古滝屋によると、震災前は平日に夫婦、週末には団体客の利用が多かったが、業態を変えてからは平日にビジネス客、週末は観光を目的とした家族連れ層が多く、客層が変化しているという。宿泊者数は震災前に比べ回復している状態ではないが、経費を削減し、経営悪化を避けるという地道な努力を続けている。

 「スポーツ合宿」誘致へ力

 同温泉旅館協同組合の草野昭男理事長(62)は「風評の影響を最も受けるのが旅館業。自助努力にも限界がある。今後の個別賠償を丁寧に対応してもらえるよう、周辺の観光施設などの入り込み数を調査して東電に窮状を訴えていく」と話す。
 今後の打開策として、市と連携し、いわきFCパークなどのスポーツ施設を活用したスポーツ合宿の誘致などにも力をいれていく考えだ。