被告の主張、証拠や証言と食い違い 東電旧経営陣・強制起訴裁判

 

 東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の旧経営陣3人の公判は東京地裁(永渕健一裁判長)でこれまで25回開かれた。公判では、東電が事故前、福島第1原発で津波対策を取る方針を決めていたにもかかわらず、経営状態を優先し、その後、方針を撤回した経緯が明らかになっている。「大津波は予測も対策も不可能だった」とする3人の主張と、法廷で示された証拠、証言には大きな食い違いが出ている。

 「長期評価」専門家見解割れる

 公判の争点の柱は〈1〉3人が大津波の到来を予測できたか〈2〉対策を講じれば原発事故を防げたか―。これまでの証拠に基づけば、3人が大津波の到来を予測できた可能性も考えられ、今後は具体的な津波対策が原発事故までに間に合ったのか、対策を取れば原発事故を防げたのかがポイントになりそうだ。

 10月には、これまでの証言や証拠を基に3人の認識を問う被告人質問が始まる見通しで、原発事故の真相究明に向けた裁判は佳境を迎える。被告人は元会長の勝俣恒久氏(78)と、いずれも原子力・立地本部長を務めた元副社長の武黒一郎(72)、武藤栄(68)の両氏。

 東電は2008(平成20)年3月、津波地震に関する政府見解(長期評価、02年7月公表)に基づき、第1原発に最大15.7メートルの津波が到来する可能性を把握した。検察官役の指定弁護士はこの点を重視、3人が大津波を予測できた根拠としている。公判では、長期評価の信頼性の立証に時間が割かれ、証人で出廷した東電社員や専門家らの間でも考えは割れた。

 長期評価は、本県沖を含む三陸~房総沖ではどこでも、30年以内に20%の確率で大津波の危険性があるとしている。

 元東大地震研究所教授(地震学)の島崎邦彦氏、元東大地震研究所准教授(歴史地震学)の都司嘉宣氏ら長期評価の策定に携わった専門家はいずれも「地震学者らの統一的な見解」などと正当性を主張した。

 一方、東北大大学院教授(地震学)の松沢暢氏は、三陸~房総沖は南北で海底構造などが異なると指摘。この範囲内のどこでも同じ確率で津波地震が起き得るとする長期評価は「乱暴で、理学的には正しいと思わない」と述べた。同大災害科学国際研究所長で教授(津波工学)の今村文彦氏も「どこでも起き得る根拠が示されていない」と信頼性を疑問視。出廷した東電社員の一人は両教授と同様の見解を示したが、「それでも権威ある地震学者がまとめた知見なので、対策には取り入れるべきだった」と証言した。

 津波対策「間に合う」指摘も

 第24回公判で示された元東電原子力設備管理部新潟県中越沖地震対策センター長の山下和彦氏の検察官面前調書によると、東電は事故から3年前の08年3月11日、勝俣氏や清水正孝元社長(74)も出席した常務会で、第1原発での津波対策の実施を正式決定した。決定後に対策すべき津波の高さやコストが想定を上回ったため、経営状態を優先して約4カ月後に方針を撤回。勝俣氏と武黒氏、武藤氏の3人は当初、実施を了承していた。

 はじめは対策すべき津波高を7.7メートル程度で想定していたが、詳細な解析で15.7メートルに達すると判明。対策には数百億円かかり、工期が4~7年に及ぶことが分かると、武藤常務(当時)が08年7月、長期評価に基づく津波対策の先送りを決めた。新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が停止して東電の経営が悪化し、数百億円の対策工事は会社としてのリスクが伴うとの判断があった。

 東電は当時、既存の原発の安全性を確認して国に報告する準備を進めていた。報告期限内に対策が未完了だと原子炉を運転できない可能性があったという。武藤常務(当時)は津波対策を見送る対外工作として、原発の審査員を務める学者らへの根回しを指示した。

 これまでの公判には、山下氏の元部下で、事故前に第1原発の津波高を計算する部署に所属していた社員3人が証人で出廷した。山下氏と3人は「津波の切迫性は感じていなかった」との考えで一致、大津波が実際に到来する感覚は希薄だったとの認識を示した。検察官面前調書で山下氏は、柏崎刈羽原発を停止に追い込んだ新潟県中越沖地震に言及。「中越沖地震が想定外だったので、想定外が何度も続くとは思っていなかった」などと供述していた。

 東電が15.7メートルの津波高を知った08年3月以降に対策に着手し、約3年で十分な工事を完了できたのか―。東電が対策例で検討した海への防潮堤の設置には4~7年かかる見通しだった一方、重要施設の改良など陸上の対策ならば十分に間に合ったとの指摘もある。

 東電から日本原電に出向していた元社員によると、日本原電は08年7月ごろから、東海第2原発(茨城県東海村)で盛り土、配管の改良、重要施設の側壁の建設といった津波対策に着手。09年9月ごろまでに工事を終えた。これらの対策は、長期評価に基づくと同原発に12メートル程度の津波が到来し得るとの計算結果を踏まえて行われた。

 ただ、日本原電は長期評価に基づく津波対策を見送った東電の意向に従い、対外的には一連の対策を「自主的なもの」と説明。国にも長期評価に基づく対策とは説明していなかった。東海第2原発は震災と津波で一時、原子炉が停止したが、事前の対策が奏功して重大な事故には至らなかったという。

 検察官役の指定弁護士は、東電は遅くても11年3月初旬には大津波の到来を予測し、安全対策が完了するまで原子炉を止めれば事故は防げたと主張している