『通い農業』...粘り強く古里へ ICTで支える農家の切実な思い

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タブレット端末を使い、水やりなどの状況を確認する菅野さん。チューブを伝い水と養液が行き渡る仕組みだ=飯舘村

 東京電力福島第1原発事故に伴う避難生活が長期化する中、避難先から古里に通って農業をする動きが県内で出始めている。「古里で、もう一度農業がしたい」。農家の切実な思いを情報通信技術(ICT)で支える取り組みなども進んでおり、営農再開につながると期待される。

 ICT、ハウス栽培の味方

 【飯舘・菅野さん】「(機械を使っても)作物にかける愛情は同じなんだ」。ICTを活用して野菜を栽培する飯舘村の農業菅野宗夫さん(67)は、足元にチューブが通るハウスで作業の手を休めて語った。

 菅野さんは川崎市のベンチャー企業が開発したICTシステムをハウス全棟に導入。避難先の伊達市保原町から通い、ハウスでパプリカやピーマンなどを栽培している。

 ハウスには日射量、温湿度、土壌の水分量を計測する3種類のセンサーを配備。苗が植えてある土壌には一定の間隔で穴が開いたチューブが通っている。毎日、定期的に水と肥料が混ざった培養液が作物に供給される仕組みだ。遠隔地から手動で培養液を供給することも可能で、農作業の負担が大幅に軽減されている。

 システムを導入したことで毎日の水やりや肥料散布の手間がなくなった菅野さん。「品質も安定するし、コスト削減にもつながる」と効果を実感、晴れやかな表情を浮かべる。

 村は昨年、大部分で避難指示が解除されたが、帰還者は900人程度と少なく、農業の村の姿には程遠いのが現状だ。そんな中でも菅野さんは村での営農再開を選択。「土の恵みを受けた生活が何よりの喜びだ」と汗を拭う。

 ICTを活用すれば通い農業でも、戻ってきても農業に携われる。「この地域に戻ってもやれるんだ、という姿を広めたい」。ハウスの様子をリアルタイムで見られるタブレット端末に目を落とした。

 西郷から140キロ...コメ作り励む

 【富岡・渡辺さん】「春は緑色、秋には黄金色のじゅうたんが広がる町の原風景を取り戻したい」。富岡町のコメ農家らでつくる「ふるさと生産組合」の組合長渡辺康男さん(68)は、避難先の西郷村から片道約140キロの道のりを車で通いながら古里の農業再生に挑んでいる。

 組合員は12人で、大半が仙台市や郡山市、いわき市などで避難生活を続けている。それでも「土に触れられる喜び」を求めて避難指示解除前の2013(平成25)年に、コメの収穫後に全量を廃棄する試験栽培を開始。14年産米からは出荷を前提にした実証栽培に切り替え、1.2ヘクタールに作付けした。帰還困難区域を除く避難指示の解除から1年が経過した今季は、組合員全員が避難先から通いながら作付面積を4.8ヘクタールに拡大、水管理など作業を分担した。

 双葉郡内やいわき市のホテル、弁当店など販売先も増えてきた。しかし、渡辺さんは「通いながらのコメ作りが、今はおっくうではないけれど、組合員の高齢化が進んでいる」と行く末を心配する。

 組合員の平均年齢は65歳。生活拠点を町外に移した組合員も多く、年齢を重ねるたびに片道1~2時間の運転への不安も大きくなる。

 組合は今春、次の世代の担い手の確保やコメ作りを応援してくれるサポーターを増やそうと、県外の住民でも組合に入れるように加入条件を緩和した。渡辺さんは「次の世代にバトンタッチできる環境をつくっていく」と力を込める。