心のよりどころ...「神社」再建の道探る 地域住民営みと密接関係

 
八坂神社の完成を心待ちにする関係者ら=浪江町

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で再建が困難な県内の神社は、少なくとも74カ所(3月末現在)に上る。避難生活の長期化による氏子の減少や資金の確保など、再建に向けた課題は多い。家内安全や合格、必勝などの各種祈願、盆踊り、神楽の奉納など地域住民の営みと密接に関わり、心のよりどころとなっていた神社をどう再建するのか手探りの状況が続く。

 企業に支援呼び掛け

 【双葉・初発神社】「神社はその地域や住民を守るうぶすな様。避難指示が解除される前に再建し、地域住民の帰りを待ちたい」。原発事故に伴う帰還困難区域にある双葉町の初発(しょはつ)神社の高倉洋尚宮司(57)は語る。
 JR双葉駅に近く、帰還困難区域の再生を図る特定復興再生拠点区域(復興拠点)内にある初発神社は、新春恒例行事「ダルマ市」に合わせて奉納神楽大会が開かれるなど、多くの町民に親しまれてきた神社だ。
 震災で傾いた社殿は、原発事故の影響で補修ができず、ワイヤで固定されたままの状態が続いたが、5月に修復作業が始まった。修復の費用は想定より約1000万円多い、約6500万円。手持ちの資金だけでは足りず、氏子や地元企業、町内の復旧・復興作業に携わる企業などに浄財の協力を呼び掛けながら再建が進められている。
 一方、高倉宮司は初発神社を含め町内六つの神社の宮司を兼務している。沿岸部にあり、津波で社殿が流失した中野八幡神社もその一つ。5年ほど前、県外の神社関係者の支援で仮社殿と鳥居が建立されたが、震災の爪痕は色濃く残ったままとなっている。
 町内でも比較的空間放射線量が低い避難指示解除準備区域にあり、県が計画中の復興祈念公園に隣接する中野八幡神社は、震災と原発事故で再建が困難な神社をまとめる「合祭殿」の候補に挙がっている。
 津波で甚大な被害を受けた地域の住民は県内外に避難。周辺では、県の「アーカイブ拠点施設(震災記録施設)」や町の中野地区復興産業拠点の整備が進められ、ふるさとの原風景は大きく変わった。被災したどの神社も再建に悩む中、高倉宮司は合祭殿という在り方に「仕方がない」と一定の理解を示しつつ「戻ってきた住民が安心できるよう、できるだけ昔と変わらない形で残したい」と願う。

 委員会設立し準備加速

 【浪江・八坂神社】避難区域が解除された地域では、神社の再建が進む。社殿が甚大な被害を受けた浪江町樋渡の八坂神社は昨夏から再建が進められ、7月下旬に完成する予定だ。関係者は「神社は地域にとって復興のシンボル。避難している人たちにもふるさとのことを思い出すよすがにしてほしい」と完成を心待ちにする。
 同神社は元々、神仏混合の天王宮と呼ばれていたが、明治政府の神仏分離令で1871(明治4)年に八坂神社となり、例大祭などでは地域の住民が集う地域の憩いの場の一つとなった。5月に浪江町の自宅に帰還した再建委員会の牛渡喜一郎さん(82)も「明治時代に地元の人たちがつくった神社は子どもの遊び場で、ふるさとの中心だった」と振り返る。
 全町避難となった影響で当初は再建は進まなかったが、氏子や地元住民らから「このまま放置していていいのか」との声が上がり、氏子や住民らが神社の再建に向けた委員会を設立、準備を進めてきた。再建資金は、住民の避難に伴い再建に向けた手入れなどが困難になったとして得られた東電からの賠償金だけでは賄えず、地元住民の寄付や県神社庁の助成金なども充てる。かつて使われていた、彫刻が施された木材を再利用するなど、被災前と変わらない形で再建する計画だ。
 「再建は地域のまとまりが大事。地域の理解と協力がなければ、再建は進まなかった」。再建委員会の鈴木辰行さん(67)=宮城県名取市に避難=と吉田邦彦さん(58)=相馬市に避難=は声をそろえる。
 神社は完成後の秋にご神体の遷座式、落成式を予定している。再建委員長の佐藤安男さん(80)=福島市に避難=は「神社にとって大事な夏祭りは来年の再開。どのような内容にするか。令和の時代に新しい神社が完成し、われわれが新たな歴史をつくっていく」と感慨深げに語った。

 氏子たちが新築進める

 【楢葉・立石神社】楢葉町井出地区の静かな里山の中腹にたたずむ立石神社。震災で損壊したが、氏子たちの力で今年5月、8年ぶりに再建を果たした。
 同神社は、150年以上前に建てられ、子孫繁栄などを願う住民の心のよりどころとなっていた。しかし、震災で拝殿が修復困難なほど損壊。その姿に心を痛めた氏子たちが、昨年秋から新築を進めてきた。
 神社総代の草野昌男さん(87)は「古くから住民を見守ってきた地域の神社を再建できて安心している。末永く後世に受け継いでいきたい」と話す。