『雨にゆれる女』半野喜弘監督×青木崇高 偶然の出会いから映画が生まれた必然

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映画『雨にゆれる女』(公開中)半野喜弘監督(左)と主演の青木崇高(右) (C)ORICON NewS inc.

 すべての出会いは必然と言われる。2002年、仏・パリ4区のカフェで出会った2人。パリを拠点に、映画音楽からエレクトロミュージックまで幅広く手掛ける音楽家・半野喜弘氏と、俳優の青木崇高。2人は10年後に再会し、その後、一つの映画を作り上げる。『雨にゆれる女』(11月19日より、東京・テアトル新宿にてレイト上映中)。半野氏の監督デビューであり、青木にとっても初の長編単独主演作となる。

【動画】『雨にゆれる女』予告編

 青木「14年前、まだ俳優でも何者でもなかった頃、バックパッカーでパリを旅行していた時に偶然見つけた日本人に声をかけたんです。それが、半野さんでした。それから10年くらい経って、今度は東京のとあるビストロで再会したんです」。

 半野監督「店の人から俳優が来ているから紹介すると言われて、現れたのが青木だった(笑)。なんだ、知り合い?と周りが驚くような運命の再会(笑)。パリで意気投合した青年が、その後俳優として活躍しているのは知っていたから、ここで出会ったのはただの偶然じゃない。何か一緒にやろう、という話しになって。そこから始まってでき上がったのが、この映画」。

 青木「こんな偶然、ないですね。偶然再会したとして、『なんかやろう』という話はよくあるけど、それが実現することはめったにない」。

 半野「14年前には、青木の主演で映画を撮るなんて話、微塵もしていなかったけど、14年前に出会っていなかったら、この映画はできてなかったね」。

■「偶然の出会いが、映画として結実したことが、誇らしい」

 同映画は、本名を隠し、"飯田健次"という別人としてひっそりと暮らす男(青木)の前に、謎の女(大野いと)が現れ、お互いに本当の姿を明かさないまま引かれ合っていく、サスペンスフルな愛の物語。なぜ、彼女は健次の前に現れたのか。なぜ、健次は別人を演じているのか。隠された過去が明らかになる時、2人の愛の行く末は...。

 テーマは「生きるという事は完璧なまでに不公平である」と半野監督は語る。「何が不幸で、何が幸せか。それを決めるのは自分自身。他人の尺度では測れないものなんじゃないかと。誰も気にも留めないありきたりな日常が、この映画に登場する男と女にとってはかけがえのないものだった、というだけで、そんな日常を夢見る彼らの人生は苦しそうで、悲しそうに見えるかもしれないけれど、不幸と決めつけることはできないし、価値がないとも思えない。だからこそ、彼ら2人の苦しみと悲しみを通して、当たり前に存在する日常の豊かさと素晴らしさをあぶり出し、その価値を観客に伝えたいと思いました」。

 別人として孤独に生きる主人公・健次を演じた青木は、映画『るろうに剣心』3部作や『日本で一番悪い奴ら』、ドラマ『ちかえもん』(NHK)などでみせた豪快なイメージとはかけ離れた、いままでにない顔を見せている。

 半野監督「この映画に取り掛かった時、逃れられない喪失を抱えた男を描きたいという思いと、いままで見たことがないような青木崇高が見たいという思いが混ざりあって、脚本をつくっていったので、青木に『俺、できません』と言われていたら、この映画は撮れなかったでしょうね(笑)」。

 青木「僕にとってもこの映画は特別ですよ。ひとつの出会いが、出会いだけで終わらずに、映画として結実したことが、とても誇らしく思えます。こんなに個人的なことから始まった映画づくりは初めてでしたし、そうやって生まれた映画がどこまで多くの人に届くか、とても興味あります。映画を観た方から感想を聞いて、語り合いたいですね。できれば、パリの街角で(笑)」。

■「自分は好きだと言えたことにホッとした」

 半野監督は、ホウ・シャオシェン監督の抜てきにより『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(1998年)の映画音楽を手掛けたのを始まりに、同監督の『ミレニアム・マンボ』(2001年)、ジャ・ジャンクー監督の『プラットホーム』(2000年)、『山河ノスタルジア』(15年)など、アジアの名監督たちと共同作業を重ねてきた。映画音楽を手掛けた近作に、行定勲監督の『ピンクとグレー』(16年)、森義隆監督の『聖の青春』(16年)がある。

 「才能豊かな監督たちと音楽家として作業を共にし、彼らから多くのことを学ぶ一方で、創りたいものが音楽のみで表現できるものではなくなってきて、自然と映画製作に向かっていきました。僕は音楽を創る際に映像や色彩をイメージしますし、映像や色彩を見た時に音楽が浮かぶ。僕の中で音楽と映像は表裏一体のようなもので、映画にはその両方がある。映画全体を俯瞰(ふかん)し、創作することは、まるで交響曲を作り上げる作業のようにも感じられました」。

 監督・脚本・編集・音楽を一手に手掛けたこの映画。「初号の試写を観たとき、この映画、自分は好きだなと言えたことに正直ほっとしました。一緒につくったスタッフ、キャストに心から感謝できる。僕は、どこかの1シーン、1カットが強烈に記憶に残る、そういう映画がわりと好きなんですけど、この『雨にゆれる女』もそうなったらいいなと思って作りましたし、観客がそれぞれ『あのシーンがすごく印象に残っている』というものを持ち帰ってもらえる映画になったんじゃないかと思っています」。