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力強さを増す「企業」 新たな土地で決意、前を向いて歩む

力強さを増す「企業」 新たな土地で決意、前を向いて歩む

「自分たちが頑張ることでエールを送れたら」と語る池本社長

  東日本大震災と東京電力福島第1原発事故でブレーキがかかった工場立地が回復傾向に転じるなど、本県産業に明るい兆しが出始めている。被災地から新天地に移って事業再開した企業や、震災を契機に本県進出を決意した企業も事業が軌道に乗り始めている。建設業や水産加工業の人手不足など課題は残るが、前を向いて歩む企業の挑戦は力強さを増している。
 
 【再出発】震災と原発事故で浪江町からの移転を余儀なくされた自動車総合リサイクルの「ナプロフクシマ」は、2011(平成23)年末に伊達市梁川町に新社屋を建設。12年1月、「ナプロアース」に社名変更し、新たな土地で再出発した。池本篤社長(47)=南相馬市出身=は「福島の復興のためという思いがある。自分たちが頑張ることでエールを送れたら」と決意を語る。
 池本社長は1996年、南相馬市でナプロフクシマを設立。浪江町に本社を移転した後も業績を伸ばし続けた。しかし、震災と原発事故で状況は一転した。本社は東京電力福島第1原発から約5キロ。津波は免れたが被害は甚大で社員の大半が避難した。喪失感から当初は「何もやる気が起きなかった」。
 一時は廃業も考えたが、ボランティアで被災車両の引き揚げなどを手伝う社員の姿に励まされ、「このまま終わってはいけない」と事業再開を決断した。残った数人の社員と共に、震災から1年たたずして新社屋を建設した。
 再出発から2年。再び経営を軌道に乗せ、忙しい毎日を送る。池本社長は「震災を経て、あらためて人との縁で成り立っていることを強く感じた」と振り返る。創業時も再建時も多くの人々の支援を受けた。「だからこそ、今度は支える立場で福島を元気にしたい」。池本社長の言葉に力が入った。

 【進出】ランドセルを製造・販売する羅羅屋(ららや)(東京)は震災後の2012(平成24)年9月、会津若松市の河東工業団地で会津若松工場の操業を開始した。東日本大震災がきっかけとなり、それまで縁がなかった本県進出を決めた。安東裕子社長(64)は復興支援の思いがあったとしながらも「若く優秀な人材が集まり、(進出は)正解だった」と手応えを口にする。
 販売会社として1974(昭和49)年に創業した。埼玉県川口市の工場が手狭となり、栃木県などで工場用地を探していた中、震災が起きた。「震災がなければ(福島に)来なかった」と安東社長は語る。初めて会津に足を運び、県や会津若松市の担当者からの説明を聞いた。企業立地のサポートもあり、進出はほぼ「即決」だった。
 会津若松工場は操業から2年を待たず生産が軌道に乗った。「これほど早いとは」。安東社長は社員一人一人の努力に舌を巻く。今年中にも会津若松工場のラインを増やし、同社の主力工場に押し上げる。増産に伴う新規雇用も検討しており、商品は有力な市場となる中国で販売規模を拡大させる。「集中力や忍耐強さ、感性など、(会津など本県は)ものづくりに適している」。安東社長は新天地でのさらなる飛躍に期待を込めた。
(2014年3月9日 福島民友ニュース)



 

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