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原発災害・「復興」の影
帰れない
 
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在京島民…避難先に“置き去り” 三宅島と共通「先見えず」

在京島民…避難先に“置き去り” 三宅島と共通「先見えず」

「三宅島から福島へのエール」と題した研究集会で、三宅島の現状を語る佐藤さん=14日、東京都世田谷区・日体大

 「避難者自身が声を上げ、行政を動かしていく必要がある」。今月14日、東京・世田谷の日体大。「三宅島から福島へのエール」と題した日本応用心理学会の研究集会で、「三宅島ふるさと再生ネットワーク」会長の佐藤就之(しゅうし)(78)は、三宅島噴火に伴う自身の避難体験に基づき、原発事故避難者への助言を述べた。
 2000(平成12)年、東京から南に約180キロの三宅島の雄山が噴火し、全島避難が行われた。05年に避難指示は解除されたが、ぜんそくの発作を誘発させる二酸化硫黄を含む火山ガスの噴出はその後も続く。
 避難指示解除の際、二酸化硫黄への感受性が高いとされる子どもや呼吸器の持病を持つ人らは、島への帰還を断念。島民約3800人のうち、約1000人が戻らなかった。佐藤は「『帰りたくても帰れない』島民が生まれたが、島の行政当局は『避難先の行政サービスを受けてほしい』と通告。事実上、避難先に置き去りにされた」と明かす。

 戻ったのはインフラ
 同ネットワークは避難指示解除後も島に戻れない「在京島民」を支援することを目的に結成された。今年8月、ネットワークが実施した電話での実態調査で、都内で一人暮らしする高齢の在京島民は「要介護だから動こうと思っても動けない」と明かしたという。
 島の人口は避難指示が解除された8年前から横ばい状態が続く。「光り輝くほど立派」(佐藤)な道路が整備されたそばに、二酸化硫黄で腐食するままの家屋が放棄されている。在京島民は高齢化が著しい。佐藤は自嘲気味に語る。「帰島したばかりのころ、行政は『村を避難前に戻す』と強調していた。今思えば、あれは『インフラを戻す』っていう意味だったんだな」

 行政は夢ばかり語る
 14日の研究集会の会場に、富岡町から東京に避難した市村高志(43)の姿があった。市村は佐藤の話を聞きながら、避難者が置き去りにされたままの島の現状を双葉郡の将来に重ねた。
 環境省は今月10日、富岡町など7市町村の除染の工程表の見直しを発表。帰還に向けた国の取り組みにも、ほころびが目立ち始めた。「行政は『帰還しよう』と夢ばかり語るが、もっと現実を直視し、避難者に今必要な対策を講じてほしい」
 市村は、こうも感じた。「帰還をめぐり先が見えない原発事故避難者が抱える問題は、三宅島の避難者にも共通している。国は、過去の災害の経験を今の避難者支援に生かさないでどうするのか」(文中敬称略)

(2013年9月21日 福島民友ニュース)



( 2013年9月21日付・福島民友新聞掲載 )
 

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