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原発災害・「復興」の影
自ら逃れる
 
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放射線とは“別の課題” 「学校」「仕事」個別の事情抱える

放射線とは“別の課題” 「学校」「仕事」個別の事情抱える

机が二つだけ置かれた大波小の教室。原発事故後、児童数の減少に拍車が掛かった

 教室に二つ並べて置かれた机。一つは教員が指導の際などに使う。福島市大波の大波小に在籍する児童は現在、6年生1人だけだ。
 「原発事故で、少子化に伴う学校の児童数減少に拍車が掛かってしまった」。福島市大波地区町会連合会長を務める佐藤秀雄(66)は言う。
 同校によると、児童数は原発事故のあった2010(平成22)年度の当初で41人。11年度に自主避難に伴い8人減ったほか、10〜12年度にそれぞれ15人、10人、7人と卒業し、児童数が減少していった。
 市内でも放射線量が比較的高い地域だった大波地区では、市がいち早く除染に着手。汚染土壌などを運ぶ仮置き場も11年秋から運用している。自主避難先から戻った家族も多いという。

 児童数の少なさ敬遠
 しかし、「放射線は心配ないのだが、これだけ在校生が少ないのは教育上どうなのか」と心配する保護者が、児童数の多い他地区の学校に学区外通学させるケースも多く、自主避難者の帰還と同校児童数の回復とは結び付いていない。
 原発事故をきっかけに生じた地域の課題が、住民の放射線不安とは別の問題として続いているのが現状だ。同校は春に新入生が入らなければ休校となる。「保護者の判断を第一に尊重しなければならない」。佐藤はそう強調するが、望みも語る。「できれば、地域の教育文化の中心である学校は今後もあり続けてほしい」
 放射線不安などから本県を離れた自主避難者も、原発事故発生から3年近く経過した今、避難当初とは違う個別の事情を抱えるようになっている。「いわきに帰りたい。でも、主人はこちらで仕事をしているから、帰ったらまた仕事を探さなくてはならない。簡単には動けない」。夫と子ども2人とともに沖縄県与那原(よなばる)町で避難生活を送るいわき市の鈴木千春(34)は悩みを打ち明ける。

 「どこかで区切りを」
 11年6月、放射性物質への不安から「いったん福島を離れて考えよう」と沖縄に移り、2年半たった。長男(6)はこの春から小学生。周囲の2家族は春から福島に戻るという。「何年生になったら帰るの?」。いわきに帰りたい長男はそう聞いてくる。
 いずれ帰還する考えを持ちながらも、そのタイミングをめぐり判断を迫られる。鈴木は焦りも口にする。「中ぶらりんの状態が続いているが、いつまでも避難者のままではいられない。どこかで区切りをつけないと」   (文中敬称略)

(2014年1月11日 福島民友ニュース)



( 2014年1月11日付・福島民友新聞掲載 )
 

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