2015語り継ぐ戦争 硫黄島で戦死した父 手紙に面影求める

(数字はいいね)  このエントリーをはてなブックマークに追加 
小野 一雄さん 72 (いわき市)

戦地から届いた父の手紙を読み返す小野さん。家族の身を案じながら戦死した父の無念さを思う

 ◆小野 一雄さん 72 (いわき市)

 「いつか行かれっときが来たら、きっと行って来うよ、一雄」。いわき市小名浜の小野一雄さん(72)は幼いころ、祖母ミカさんから言われた一言を忘れない。「行って来うよ」と諭したのは、東京・小笠原諸島の硫黄島。小野さんの父徳太郎さんが29歳で戦死した地だ。遺骨はいまだに届いていない。

 遺骨拾うような思い  

 小野さんは父の死から約30年後の1974(昭和49)年、日本遺族会が初めて企画した戦跡巡拝の船旅に参加し、硫黄島に足を踏み入れた。「やっと来ることができたという思いだけで、言葉にならなかった」。父の遺骨を拾うような気持ちで、島の砂を持ち帰った。

 硫黄島の砂とともに、父からの手紙を大切に保管してきた。43年6月に出征してから45年3月に戦死するまでの2年足らずの間に家族の元に届いた手紙は44通。戦後70年を迎えた今、手紙を1通ずつ読み返すと、亡父への思いがこみ上げる。

 検閲受け黒塗りに  

 海産物加工業を営んでいた徳太郎さんは漁の状況や工場の火の始末など、気掛かりな仕事への思いを記しながらも、最後は「ご自愛を」「お身大切に」など家族の無事を気にかけた。

 44年5月の手紙には「一雄も大分大きくなり、元気そうな姿に接し、安心致しました」とある。戦地に届いた家族の写真に納まった愛息の成長した姿に安堵(あんど)した思いをつづっていた。

 「本当は帰りたかったのだと思う。子どもの顔が見たかったんだ」。手紙には検閲を受け、黒く塗りつぶされた箇所もあり、小野さんは父の心情を思うと、言葉が詰まる。

 43年6月、小名浜駅のホームで「大きくなっていろよ」と頭をなでられ、車中に消えた時が父子の別れだった。「同じ戦死でも、亡き父親の記憶がある人が本当にうらやましかった」。小野さんは幾度も手紙を読み返しながら、父の面影を探し求める。