2015語り継ぐ戦争 須藤大尉の小冊子作成 郷土の誇り後世に

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菊地 真洲男さん 79 (喜多方市)

自身が書いた小冊子を手に「日本を救った須藤大尉の功績を後世に伝えていきたい」と話す菊地さん

 ◆菊地 真洲男さん 79 (喜多方市) 

 タイトルは「須藤傳(つたえ)大尉の生涯」。喜多方市の農業菊地真洲男さん(79)は、自ら書いた小冊子をめくりながら、話し始めた。

 国の危機 救った人

 「戦後、喜多方に住んでいた元海軍大尉須藤傳さんの名を知る人は、どれほどいるだろう。エリートパイロットとして日本の将来を左右する重要な任務を担い、危機から救った人だ」

 日本は、1945(昭和20)年8月15日以降も他国の攻撃を受けていた。一刻も早い戦争終結のため、関係国と降伏文書を取り交わす必要があった。同19日、フィリピン・マニラに向かう政府の降伏受理全権団は飛行機「緑十字機」で千葉県木更津から経由地の沖縄県伊江島へ飛び立った。機長を務めたのが、須藤さんだった。

 連合国司令部とのマニラでの協議を終え、伊江島に戻った全権団を再び乗せた緑十字機は同20日夕、木更津への帰路に就いた。夜間飛行中に異変が起き、静岡県磐田市の海岸に不時着する事態となったが、須藤さんの高い操縦技術で全権団は助かった。「月明かりを頼りに冷静な判断で胴体着陸させた。墜落して全員が死んでいたら、降伏文書の取り交わしが遅れ、その間に他国の攻撃は激しくなっていた可能性が十分ある」と菊地さんは推測する。

 「会いたかった」

 小冊子を書く材料を集めた際、須藤さんが住んでいた場所は、菊地さんが住む集落の隣と知った。「須藤さんのことは全く知らなかった。知っていれば、ぜひ会いたかった」と話す。小冊子の完成には、静岡県で緑十字機に関する調査・研究をしている郷土史家岡部英一さん(64)と知り合い、貴重な資料を貸してもらったことが、大きな力になった。

 当時の不時着事故に「機長が須藤さんでなかったら」と思いを巡らす。「戦争は絶対だめ。何より子どもたちに伝えなければいけない。須藤さんの存在、功績を次世代に引き継いでいく」と力を込める。