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ふくしま 団塊の道標TOP
▽2   【07 1/3掲載】
地域で寄り添う
地域で寄り添う
1970年当時、教育実習生だった金丸さん(前列左から6人目)と下郷町・旭田中の生徒たち。円内は現在の金丸さん 
教え子と続く交流/心に触れる「養護」の道
 「2007年問題は結局、われわれが何を考え、これからどうするかということ」。福島二小の1960(昭和35)年度卒業生の同窓会の席。男性の1人が「まずは話を聞こう」と言い、旧友にこれまでの足取りを語るよう促した。
 教員になった金丸堅二さん(58=さいたま市=が話を引き継いだ。東京都で教員になり今年で37年。現在は板橋区の身障学級を受け持つ。
 「小四の途中、山梨県から転校してきて、中一の2学期には静岡市に転校した。福島市にいたのはわずか」と言う。
 それでも福島の記憶は鮮明だ。「学校のことばかり覚えている。放課後の校庭で、暗くなるまで友達とこま回しに熱中した。夜になると、宿直室に行き先生や友達とテレビを見た。転校生だからといじめられたことはない。そんな時代だった」
 温かな学校の記憶が、教員としての原点にあるのかもしれない―と金丸さんは穏やかに笑う。
 少年時代が平穏に過ぎたわけではなかった。中二の時、父が病死。高2の時には近所の人が自殺した。身近な死に、金丸さんは人とかかわり心に触れる仕事に就こうと決めた。
 大学は福祉系の学校を選んだ。教員採用試験の面接では、社会科の教員か養護の教員か―と選択を迫られ「養護」と答えていた。
 それから養護教員一筋できた。定年退職まであと2年。「残った時間で私の教育をまとめたい。定年後は好きなスペインへ行き、趣味のマラソンを楽しみたい」と夢を描く。
 「教育現場は急激に変わった。目に見える成果を求め、教員は教えた子どもが短時間にどう変わったか|で評価される。以前は、『発達の遅い子が大人になった時のことを考えろ』と言われたが」。そんな思いもあってか、「定年後は同じような仕事はしないだろう」と言う。
 それでも金丸さんが話の途中で取り出した2枚の写真が別の思いを伝えていた。1枚は21歳の時、教育実習で教えた下郷町の中学生との写真。1枚は養護学校の生徒と太鼓の発表会で写した写真。皆、肩を寄せ合い笑顔がまぶしい。
 「卒業した生徒たちとも交流は続いている。多くの子が働き頑張っている。連絡のない子にも会いに行き話がしたい」。地域で子どもたちに寄り添う人生がこれからも続く。
◇退職後 
 団塊の世代を対象にした東北産業活性センターのアンケート調査によると、退職後の生活で望むことについて、20・2%が技能や経験の活用と回答した(複数回答)。最も高率だったのは余暇で67・3%を占めた。
1970年当時、教育実習生だった金丸さん(前列左から6人目)と下郷町・旭田中の生徒たち。円内は現在の金丸さん 
 


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