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ふくしま 団塊の道標TOP
▽10  【07 1/11掲載】
跡継ぎ
跡継ぎ
店のカウンターで長男哲二さん(前列中央)と肩を並べる渡辺さん(右端)。哲二さんの左がとし子さん=福島市 
料理店支える長男/妻の病死を乗り越えて
 同級会もたけなわを迎え旧友たちの会話が弾む。それを見守る会場の店主も同級生で団塊の世代。「探検家になるのが夢だった」という渡辺修さん(57)=福島市=は「それなりに波乱」の半生を歩んできた。
 日大芸術学部2年生の春、大学内が騒然となった。当時、日大は学生運動の拠点の1つ。5月ごろから学内封鎖が始まり、それから二年半、講義は休みになった。
 「パチンコに行き、学生寮に帰るとマージャンの毎日。でも、寮生は試験の前だけは勉強する。だから皆、卒業はできた」。写真学科の渡辺さんも卒業制作の作品に苦しんだが、晴れて卒業した。
 若者が長髪の時代。「卒業したから長髪を切って就職します、と割り切る気にはなれなかった」が、紆余(うよ)曲折を経て23歳で都内の広告代理店に入社した。2年ほどでオイルショックのため会社は解散、親会社の住宅メーカーに営業マンとして引き取られた。結婚し長男も生まれた。「業績はトップクラス。自信はついた」
 だが、営業方針で会社と対立。同僚ともしっくりいかない。孤立感が募った。
 「自分でやって、自分で責任をとる方がいい」。独立を決意したのは28歳の時。会社を辞め向かったのは、妻の故郷の沖縄だった。1カ月の滞在で、独特の文化と人の温かさに触れ自身が再生するのを感じた。妻の祖母からは沖縄の家庭料理を学んだ。1977(昭和52)年11月、福島市に戻ると妻と2人で東北初の沖縄料理店を開いた。「沖縄料理は福島でははやらない」と言われたが、働き詰めで周囲の冷笑をはね返した。
 しかし、店が軌道に乗ってきた時「落とし穴」があった。96年、渡辺さんを支えてきた妻冷子さんが病死した。バブル経済が弾け、売り上げも激減した。「正直、やっていく自信がなくなった」。その時、渡辺さんと店を支えたのが、沖縄で料理の修業を終えた当時22歳の長男哲二さんだった。
 県の商業実態調査(2004年度)では、小売業者で「後継者が決まっている」のは28%。42%は「自分の代で辞める」と回答している。
 渡辺さんは「故郷や友達、家族に恵まれた」と言いながら今、哲二さんや再婚相手のとし子さん(46)ら家族と調理場に立っている。(第1部おわり)
◇人生で幸せだった時代 
博報堂が団塊の世代458人を対象にした調査によると、10年単位で振り返った時、幸せだった時代は男女とも約80%が20代と回答。50代が幸せと回答したのは、男性が46%に対し女性は68%だった。
 


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