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  【 慧日寺悠久の千二百年TOP 】
ー  古くから重用 ヒノキ  ー
 
 金堂復元に伝統の素材

 復元する金堂の柱材には、ヒノキが用いられる。日本固有の樹種と言われ、植生の北限は福島県域という。加工が容易な半面、耐久性に優れて狂いも少なく、世界でも有数の優れた針葉樹だ。抽出成分として含まれる「ヒノキチオール」は抗菌・防腐効果もあり、ダニ・カビの繁殖を抑える。このような利点を生かして、ヒノキはわが国の神社仏閣の建築用材として、また仏像などの彫刻材としても古くから重用されてきた。 

 『日本書紀』神代の条には「杉及び玖珠(くす)、この2つの木は舟をつくるのによい。桧(ひのき)は宮をつくる木によい。槙は現世の国民の寝棺を造るのによい。そのために沢山(たくさん)の木の種を播(ま)こう」とあって、古代より、建築適材として知られていたことが分かる。

 ちなみに、昨年秋篠宮悠仁親王のお印で話題となったコウヤマキは、水湿に抜群の強さを発揮する。その特性を生かしてか、近畿地方の前方後円墳から出土する木棺のほとんどはコウヤマキを使用しており、『書紀』の記録を裏付けている。

 余談にはなるが、浴槽材としては最高級品で、ヒノキ風呂より希少性が高いらしい。さて、ヒノキと聞いて真っ先に思い浮かぶのは「木曾ヒノキ」。秋田スギ、青森ヒバと共に日本3大美林に数えられている。ヒノキは、植林をして下草などをきれいに取り除いてしまうと、かえって生育が良くなって木目が粗(あら)くなるという。雑草の中で自然に育ったヒノキは、成長は遅いが目のつまった良材ができるそうだ。木曾には、現在そうした天然ヒノキは推定でおよそ2万数千ヘクタールがあるとされるが、このうち半分は保護林で、伐採可能な天然林は今後約50年余りで底をつくという試算もある。

 例えば、伊勢神宮では貞和元(1345)年に初めて使用されて以来、遷宮(せんぐう)用材は主として木曾から伐(き)られている。平成25年の式年遷御に向け、すでに一昨年から一連の行事が始まっているが、毎回およそ1万立方メートルにも上るという用材を、木曾の優良大径木でまかなえるのも、あと1、2回ともいわれている。このように、木曾ヒノキの良材は年々入手が困難となっており、そのような将来を見越して、人工林による懸命な生育整備の努力が続けられている。

 ところで、この天然林の保護には、かつて尾張藩による厳しい林政の歴史があった。戦国の世が終わり、江戸時代初めに迎えた未曾有の建築ブーム。琵琶湖周辺や周防(すおう)など、西日本の木材資源が枯渇すると、こぞって木曾ヒノキが求められ、城郭はもとより、城下の整備や橋梁(きょうりょう)に多くが消費された。名古屋城などは最たるもので、本丸天守閣だけで4万本近い原木が伐り出されたという。

 結果、木曾谷にも見る間に皆伐状態となった。そこで、尾張藩は厳しい森林保護政策を打ち出す。有名な「ヒノキ1本首1つ」の掟(おきて)もその1つだ。ヒノキ、サワラ、アスナロ(ヒバ)、コウヤマキの4木は一般住民の伐採を禁止し、ヒノキに似たネズコを加えた「木曽五木」も定め停止木(ちょうじぼく)とした。事実、現在の木曾谷の天然ヒノキは老樹が少なく、樹齢300―400年前後のものが集中しているという。

 復元金堂には、木曾と並ぶ天然林産地として有名な、土佐のヒノキが使われる。高知県は、県土面積に対する森林面積の割合を示す森林率が国内一を誇り、ヒノキの人工林率も全国1位だ。今回、柱直径が1尺2―3寸の柱材を採るために、樹齢150年を超す良木も調達された。

 場所は異なれど、復元金堂をもってして、貴重な国産ヒノキの伝統を受け継ぐために、建築技法ともども後世に守り伝えていくことが我々(われわれ)の使命でもある。

(磐梯山慧日寺資料館学芸員)

白岩賢一郎

【 4 】

金堂復元に用いるヒノキの大径木

柱材の製材作業

【2007年5月2日付】
 

 

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