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  【 慧日寺悠久の千二百年TOP 】
ー  千年の釘(上)  ー
 
 高純度で優れた耐食性

 「昔の大工さんは釘(くぎ)を1本も使わないで建てたんですってねー」とか「こういう建物は釘を使わないんでしょう」。巧みな木組みがそう見せるのか、現地を見学に来られる方からしばしばこのようなことばをかけられる。

 磐梯山慧日寺資料館では、今回の復元で使用している構造材用の巻頭(まきがしら)釘を展示しているが、こぞって「こんな釘を使うんですか」と感心することしきりである。

 というのも、現在我々(われわれ)が目にする釘といえば、犬釘のような特注材でもない限り、頭の丸い洋釘が一般的で、大きいといってもせいぜい五寸釘程度であろう。こうした洋釘は、日本では明治20年ごろから出回り始めたが、錆(さ)びやすくその錆で周りの木をも侵食してしまう欠点がある。露呈していない所でも、せいぜい30年ももてばいい方だ。

 これに対し、和釘は弥生時代からあったといい、実際に使用が確認されているものでは法隆寺金堂に用いられた飛鳥時代の釘が最も古く、それでも優に1000年を超す歴史を持つ。飛鳥・白鳳期の寺院の釘は、今もってしっかりと部材を繋(つな)ぎ留め、建物改修などに際して再使用できるものが多いという。

 釘の耐久性は、1つには鉄の純度によるところが大きい。古代の鉄器にはマンガン、イオウ、ケイ素の含有量が極めて少ない。つまり高純度の鉄であるが故に、それが優れた耐食性を保つ要因となっているのだ。

 古代、原料の砂鉄や酸化物鉱石などから金属への還元剤、すなわち高温を得るための燃焼材には木炭が用いられていたが、近代以降の量産鉄では石炭・石油といった化石燃料による高効率の還元となり、その過程で燃料に含まれているイオウが鉄の中に入ってしまって逆に純度が下がったのだという。

 しかもこのままでは延圧加工ができず割れてしまうのでマンガンを加える。そうすると硫化マンガン化合物となってよく伸びるが、この硫化マンガンが錆を呼ぶ原因となってしまうというのだ。

 そのほか、製作方法も長持ちの秘訣(ひけつ)だ。洋釘は製釘機から自動的に作り出されるものであるのに対し、和釘は一本一本が鍛造(たんぞう)で作られる。鍛造とは金属をハンマーなどで叩(たた)いて成形することだが、叩くことによって金属内部の空隙(くうげき)をつぶし、結晶を小さく一定方向に整え、強度を高める効果があるのである。

 話は変わるが、小学生のお子さんがいらっしゃれば、5年生の国語の教科書に収載されている「千年の釘にいどむ」をご存じかと思う。薬師寺の伽藍(がらん)復興に用いる和釘製作を手掛けた、四国松山の鍛冶(かじ)職人白鷹幸伯(しらたかゆきのり)氏を紹介したエッセーである。

 その中で見る和釘は、薬師寺棟梁として知られた故西岡常一氏の指導の下、白鷹氏が試行錯誤を重ねて復元したもので、薬師寺を訪れると実際に用いられていた東塔の創建期和釘と並んで展示してあるので、ご覧になった読者も多いであろう。白鷹氏のもとにはこの掲載がきっかけとなって、学校教材用にとの注文が全国から寄せられているとも聞く。ということで、筆者も実際に購入してみた。長さは30センチ、重量に至っては実に300グラムにも及ぶ大ぶりな和釘である。実際に手に取ってみると、改めてその大きさと重量感に驚かされる。

 同時に「こんなでっかい釘、どこに使うの」というのが第一印象であるが、白鷹氏の著書によれば、西塔の地垂木(たるき)に打ったものだそうだ。というのも、背の高い寺院の塔は、その独特の構造から地震で倒壊することはないとされるが、むしろ風のあおりの影響を受けやすく、その風に対抗するためには相応の垂木が必要となる。

 垂木は人間に例えればいわば肋骨(ろっこつ)であり、この垂木、特に地垂木を留めるために大きな釘が必要なのだという。

(磐梯山慧日寺資料館学芸員)

白岩賢一郎

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薬師寺に展示された各時代の和釘


復元された白鳳型和釘

【2007年9月12日付】
 

 

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