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  【 慧日寺悠久の千二百年TOP 】
ー  慧日寺を支えた人々實雅(上)  ー
 
 荒廃立て直した中輿の祖

 大寺院も長い年月の間には、栄枯盛衰さまざまな歴史を綴(つづ)る。疲弊荒廃したある時期の寺院を立て直すのが中興の祖だ。

 慧日寺の場合は56世「實雅(じつが)(實賀とも)」がその人物として知られている。江戸時代中期の人で、二本松領玉井邑(大玉村玉井地区)相応寺の出身である。相応寺といえば、現在は真言宗の寺院であるが、ここもまた平安初期、徳一開創の伝承を持ち、彼の坐像も安置している。

 寺伝によれば、大同2(807)年、安達太良眉岳(まゆだけ)(前ケ岳)に建立されたのを端緒とするが、高山のため野火が防げず度々炎上したといい、その後堂宇の荒廃に伴って玉井亀山に移り、永禄3(1560)年に現在地に移ったとされる。

 先ごろ、本紙読者でもあり、郡山市在住の郷土史家大槻直司氏から、前ケ岳に相応寺跡の調査に出かけたいので、同行願いたいとの連絡を頂戴(ちょうだい)した。是非にとばかりに、先月上旬のとある日曜日、ご案内いただいた次第である。

 当日は、林業事務所にお勤めの経験から山中を熟知された、地元の県自然保護指導員押山一衛氏に先達を願った。簡易な現地踏査の想定とは裏腹に、まさに登山さながら、急峻(きゅうしゅん)な山道を登ること1時間半、前ケ岳山上に登攀(とうはん)。山頂から尾根筋を辿(たど)って和尚山に目を転ずると、その先には遠望ではあるが、確かに平坦な場所が確認された。

 直線距離にすると僅(わず)か数百メートルではあったろうが、そこからは道なき道、薮(やぶ)中をかき分け疲労困憊(こんぱい)にしてようやくにたどり着いたという状況であった。残念ながら、草木生い茂る現況では建物跡などを確認するには至らなかったが、山上とは思えない平坦地の広がり、湧水池(ゆうすいち)跡らしい湿地帯など、その存在を窺(うかが)わせるような立地を目にすることが出来ただけでも大きな収穫となった。

 煩悩(ぼんのう)を振り払い、衣食住の貪(むさぼ)りや欲望を払い捨てて清浄に仏道修行に励む頭陀行(ずだぎょう)。その12種の実践項目の第一には「人家を離れ、静かな場所に住する」とあって、安達太良山を中心とするその地もまた、阿蘭若(あらんにゃ)の適所であったのである。

 ちなみに、大槻氏一行は現在も調査を継続中であると伺(うかが)っており、その成果を期待して止まないところだ。

 さて、そうした徳一伝承を伝える相応寺出身である實雅。恐らく同寺の縁起を目にして、その根本寺(こんぽんでら)たる慧日寺を預かるにあたり大いなる志を持ったに違いない。

 しかし、当時の慧日寺は盛時の面影はすでに見る影もなく、その荒廃ぶりに大きく落胆したことも事実であったろう。

 現在、恵日寺の本堂には、燕尾帽(えんびぼう)姿の僧形坐像が安坐されているが、先年調査を行った際に、台座背面の木札に刻まれた銘文「恵日寺観音院両寺中興56世法卯實賀之像」によって、實雅坐像であることが判明した。

 像高46センチほどではあるが、彩色が施され、玉眼嵌入(ぎょくがんかんにゅう)。燕尾帽を被り、袈裟(けさ)をかけ、両腕を胸前で合掌(がっしょう)する姿は、尊顔の険しい表情も手伝って意志の強さを十分に醸し出している。

 内刳(うちぐり)りを施した内部には納入品も納められているようであり、将来的な調査で新しい資料も確認されることであろう。

 本堂にはそのほかに真言八祖像が安置されているが、それらの像底銘によれば、享保11(1726)年に、實雅の功績を称え造立されたことが知られており、この實雅像もその頃ころの作とみられる。え、真言八祖像を造立していることがそれら像底の銘文から知られており、この實雅像もその頃(ころ)の作とみられている。

 坐像木札の刻銘によって、彼は元禄13(1700)年3月12日に観音院に入院し、享保6(1721)年に隠居したことも分かった。

 慧日寺跡に建つ墓碑銘によれば、享保20(1735)年11月27日の示寂とある。開祖徳一の廟所(びょうしょ)の東隣に建ち、歴代住持の墓の中でもひときわ大きい「中興法卯實雅墓」を目にしただけでも、近世の慧日寺にとっていかに重要な人物であったかが裏付けられるところだ。

(磐梯山慧日寺資料館学芸員)

白岩賢一郎

【 31 】

慧日寺跡に立つ實雅の墓


大玉村の相応寺

【2007年11月7日付】
 

 

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