日米で調査始まる/コロニーの遺品
研究進む
サンフランシスコの日米新聞記者竹田雪城がおけいの墓を報じた後、アイルトン地方で日本語学校教師をしていた河村幽川(本名・政平)や、作家で評論家の木村毅、会津若松では元市議の古川佐寿馬(さじま)、会津図書館長竹田正夫らの手で日米双方の調査が始まり、両国でおけいブームが沸き起こった。
若松コロニーが現地に残した品々の研究も進んだ。竹田は昭和初期、「若松コロニーの事」と題して、遺品には「中古更紗(さらさ)の地に金糸のこぼれる松葉を縫いだした打ち掛けを米国の掛け布団としたもの」や「金梨地に唐草をはわせた塗りの脇息(きょうそく、ひじかけ)」があったが、いずれも在米の日本人が購入したと記した。
研究者中谷十一も「布、鏡台、脇息、打ち掛け、つづれの布団などは日本人に買い取られ四散したという」と書いている。
現在、確認されている遺品は、おけいが暮らしたビアカンプ家に残された「短刀」と「御紋の旗」と「金属の器」。
これらが会津の松平公から賜ったものかどうかは異論もあるが、所有者のビアカンプ家は2001(平成13)年、この3点をカリフォルニア州に寄付。現在は同州立博物館などが管理する。
1960年代にも日米両国で「おけいブーム」が巻き起こり、多数の日本人や日系人が墓参りに訪れた。しかし問題もあった。
おけいの墓がある丘はビアカンプ家の私有地。現地の研究者で弁護士のヘンリー・タケタの義兄で、テレビ会社社長白井昇は1982年の雑誌記事で「墓の辺りで弁当を開いて食べ、その後空き箱、紙くずなどを散らかしてよごしたまま帰る。(中略)ビーア・キャンプ家では(特に夫人)、ほとほと嫌気が差している…」と墓参りの日本人の問題を指摘。互いの文化や習慣、考え方の違いを理解し、相手を尊重するという本来の国際理解からかけ離れた行為に警鐘を鳴らした。
時期は明確ではないが、今から15年ほど前、何者かがおけいの墓石を割る事件が起きた。日系人の間では「反日感情からでは」と緊張が走った。誰が割ったのかは分かっていないが、サクラメント仏教会のトム・フジモトによると、ビアカンプ家が割れた墓石を修理したという。
現在は、墓石を1周するように残る亀裂が事件をうかがわせる。おけいの墓は時代の流れに翻弄(ほんろう)されながら、それでも誰かに守られて現代に残っている。(敬称略)
(報道部・藍原寛子)
|