費用賄う「1円募金」/児童、生徒ら積極的な活動
本県の派米農業研修生の石原貞一と満山喜和らがカリフォルニアで連絡を取り合っているころ、地元の会津若松市でも着々と準備が進んでいた。1957(昭和32)年7月には「会津の歴史を子どもたちに知ってもらうために意義深い」と、同市教委や同市小中高校長会、各学校のPTA、児童会、生徒会の協力で、児童や生徒が1人1円ずつを出して墓碑建立費33万円を賄う「1円募金」が始まった。
建立趣意書は「米国のカリフォルニアの黄金の丘にあるおけいの墓碑を再現することによって、偉大なる開拓先駆者のシンボルとなし、会津の先人の偉業をしのび、海外発展の気風の養成と国際精神の涵養(かんよう)に資し、青少年の教育進展の一助としたい」と目的を示した。
場所は同市の背あぶり山に決定。白虎隊記念館理事長の早川広中は「元市議で元市文化財調査委員長の古川佐寿馬(さじま)さんから『飯盛山ではどうか』という話もあったが、ケーブルカーのある背あぶり山の観光のためにもということで決まった」という。
子どもたちの積極的な募金活動で建設予算が確保でき、建立される墓にはさまざまな工夫が凝らされた。墓石はカリフォルニアの墓と同じ寸法で同じ白大理石にし、写真でスライドを作って大きさや文字を完全に同じにした。現地の墓石前にあった石のかけらを礎石に埋め、周囲にはジンチョウゲ、ツツジなど四季の花々が絶えないようにした。
同年9月24日、会津戊辰90年祭の中で除幕式が行われた。おけい研究者の第一人者で評論家の木村毅が来市して墓前で講演し、仙台文化センター館長のドナルド・パウエルが駐日米国大使ダグラス・マッカーサーのメッセージを読み上げた。多数の市民が見守るなかで、除幕式と会津若松市主催の慰霊祭が行われた。
その後の85年に背あぶり山のケーブルカーが廃止されると、現地まで登るのが困難になった。そこで、おけいの墓の保存活動をする「おけい顕彰会」が動きだし、87年10月、おけいの墓は背あぶり山の旧東山第2ケーブル終点駅の上の「関白平」に移転された。
一方、米国でもおけいブームが巻き起こった。墓に隣接するゴールド・トレイル・ユニオン校の敷地内に69年8月、日本移民100周年記念碑が完成。建設には、喜多方出身の下院議員ポール坂内が尽力した。坂内の友人で当時のカリフォルニア州知事で後の米大統領ロナルド・レーガンのほか、日系人や関係者約3000人が出席、日本列島をかたどった記念碑を囲んで盛大に完成を祝った。(敬称略)
(報道部・藍原寛子)
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