墓参団が現地訪問/日米双方 市民交流を促進
会津若松市の背あぶり山におけいの墓が建立されると、この墓をシンボルにして会津の歴史に理解を深め、日米双方で市民交流を進めようという機運が高まった。市制施行70周年に当たる1969(昭和44)年9月、おけいに関心のある市民により「おけい顕彰会」が宮森常八を初代会長に発足した。
73年10月には墓前祭「おけい祭り」を初開催。現在も、毎年9月の最終土曜日に地元東山小児童と顕彰会員が一緒におけいの墓周辺の草刈りやごみ拾いなどの清掃活動に参加し、10月の第1土曜日にはおけい祭りが開かれ、市民の交流の場になっている。
昭和30年代から40年代にかけて、墓建立を通じて会津と米国の人々の交流が盛んになり、「手紙や電話だけでなく直接墓参をしたい」との声が高まった。70年と75年の2回、FMC混声合唱団がおけいの墓を訪問。穴沢医院長で同団指導者の穴沢養一が団長を務め、団員全員が墓前で鎮魂歌を歌い上げ、おけいの魂を慰めた。米国側からは、若松コロニーの土地売買契約書を発見したファン・セイヤー、日系人弁護士で歴史研究者ヘンリー・タケタと妻サリーらが出席、日米の交流を深めた。
その後も80年、82年、86年の計3回、おけい顕彰会員や市民による墓参団が現地を訪れ、ホームステイによる市民交流も深まった。当時の様子は報告書「おけい墓参団の記録」にまとめられている。
元会津図書館長で、会津文化団体連絡協議会長も務めたおけい研究者の竹田正夫(故人)に同行し、82年の第2回おけい墓参団に加わった長男政弘(現・竹田綜合病院常勤理事)は「父はおけいの研究をライフワークにしていた。最初に墓を報じた新聞記者竹田雪城さん、現地で研究していたヘンリー・タケタさん、そして父。偶然とはいえ、何人かの『たけだ』がかかわっており、それぞれが研究をつないでいるのも不思議な縁」と語る。現在、竹田正夫ら地元の研究家が収集したおけいと若松コロニーに関する日米の資料は会津図書館に収められ、内外の研究に活用されている。
日米の交流の窓口になってきたおけい顕彰会も発足から38年、最後の訪米墓参から20年がたち、会員の高齢化が課題になっているが毎年、退職教職員が加入するため、会員数は約200人になっている。会長の元小学校長鈴木邦意は「今後とも、会津のお墓をお守りし、後世に伝えていきたい」と語る。(敬称略)
(報道部・藍原寛子)
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