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1 ◇   【07 2/20掲載】
出航
出航
記念写真に収まる南カリフォルニアに渡った本県出身者(氏名など不詳、1910年ごろ)=南カリフォルニア福島県人会提供
第2部
初期渡米の人々
 「政治的亡命者」も次々

 会津戦争(戊辰戦争)後、ヘンリー・シュネルやおけいら若松コロニーの人々が1869(明治2)年に農業開拓団として渡米した後の1880年代から1920年代ごろまで、県人が次々と北米西海岸に渡った。「初期移民時代」の到来で、渡米した人々は留学生や海外出稼ぎ労働者だけでなく、自由民権運動やキリスト教、英語やアメリカ文化の影響を受けた人々もいた。本県から北米大陸に渡った初期移民の人生をたずねる。

 自由民権運動が影響/ハワイの成果足掛り

 若松コロニーの一行が渡米する1年前の1868(明治元)年。横浜港からイギリス船籍サイオト号が、ハワイに短期出稼ぎに向かう日本人を乗せて出航した。男性143人、女性9人、子ども1人の合計153人。これがいわゆる「元年者」で、この中には旧田村郡出身の勝沼富蔵の姿があった。勝沼はハワイに渡った後、獣医師の傍らハワイ移民局通訳官などを務め、日本人移民を支援した。

 「60年間の全生涯をハワイの日白人に向かって捧げて来てゐる。翁のごときは真に福島県が生んだ『移民の元祖』と尊崇するに足る人物であらう」(佐藤一水著「加州と福島県人南加編」)。

 農業生産に貢献

 日本人のまじめな働きぶりから、81年にはハワイ国王カラカウアが来日して、日本政府にハワイへの移民を要望した。これで日本政府とハワイ王国との間で渡航移民制度契約「日布渡航条約」(「布」はハワイの意)が成立、85年には1930人が渡った。人々は「官約移民」と言われ、94年まで約10年間、26回続き、約3万人の日本人がハワイに向かった。短期農業労働者として、現地のサトウキビ農場で働き、サトウキビ産業の発展に大きく貢献した。

 ハワイを足掛かりとして、80年代後半(明治20年代)に入ると、県人を含む日本人が次々と北米西海岸に足を踏み入れていく。本県から初期移民として北米大陸に渡った人々で特徴的なのは、自由民権運動の影響を受けた人が多数含まれており、その人たちが現地の農業生産に貢献したことだ。

 レストラン開業

 「加州と福島県人 南加編」と「アメリカに生きた日本人移民 日系一世の光と影」(村山裕三著)には、86年に白河出身で自由民権運動の活動家荒井達弥(達也)の渡米が記されている。荒井は、ワシントン州タコマで日本人初のレストランを開業、1900年には同州日本人会を設立して初代会長となった。

 自由民権運動を経て渡米した日本人一世を、研究者のユウジ・イチオカは著書「一世」で「政治的亡命」と呼ぶ。本県の「政治的亡命者」は、荒井に続いて次々と渡米する。彼らが波涛(はとう)を越えてたどり着いた北米大陸でも、人生の荒波が待ち受けていた。(敬称略)

(報道部・藍原寛子)
 


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