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◇13◇   【07 3/6掲載】
サンフランシスコ大震災
サンフランシスコ大震災
カリフォルニアに建設された朝倉の邸宅。1920年ごろ撮影(「加州と福島県人」より)
第2部
初期渡米の人々
南に移り事業成功/日本から家族呼び寄せる

 1906(明治39)年にカリフォルニア州北部に甚大な被害を与えた「サンフランシスコ大震災」は、同州の本県人にもさまざまな影響を与えた。

 大震災前から南カリフォルニアに住んでいた本県人として、県北地区出身の服部清吉、樋口万吉、原瀬範三郎、氏家今朝治、大泉忠右衛門、伊藤喜之助、浅和午吉、朝倉利吉、朝倉亀之丞、後藤弥作、安田勝治、松本卯平治らがいる。安積郡出身は小林喜平、東白川郡は青砥芳之助。会津出身は坂内豊三郎、五十嵐久治、浜通りは志賀大介、飯土井捨五郎、紺野武士、木幡忠太郎、清水百治ら。

 これらの人々は、震災後の現地での生活や仕事が落ち着いてくると、妻子や兄弟姉妹らを次々に日本から呼び寄せた。これを「呼び寄せ渡米」と言う。

 「加州と福島県人 南加福島県人物史伝」(佐藤一水)に、新鶴村(現会津美里町)出身の佐瀬儀作の1枚の家族写真が収められている。佐瀬は06年6月にサンフランシスコに単身で渡米したが、現地は大震災から2カ月もたたない被災地だったため南のロサンゼルスに移った。

 現地のオレンジ畑で農業労働者が不足し、人材の手配をする人がいないことに着目、人材派遣業のような仕事をした。12年間単身で働いた後、いったん日本に帰り、妻イチや長男儀一夫婦らを呼び寄せた。その後、日系人学校を開校、日系人を支援した。1時、生徒が90人を超えることもあったという。

 二本松町(現二本松市)出身の朝倉利吉は、花栽培業として成功した1人。04年4月にロサンゼルスに到着し1年間、オレンジ畑で働いた。その後、ロサンゼルス市でホテル従業員やレストランのコックなどをし、6年後に瀬上町(現福島市瀬上町)出身の妻キイ(旧姓三浦)を呼び寄せてガーデナー(造園業)をした。その後、土地を購入して最新式の花栽培施設を建設、小菊やカーネーション、スナップドラゴンなどの花々を栽培して多額の収益を挙げた。

 キイの妹ヨシの孫で、福島市の薬剤師紺野邦子は「祖母(ヨシ)は『朝倉がつくる花は本数は少ないものの、とてもきれいで高級品だった』と話していた」と語る。クリスマスになると、邦子らにあててクリスマスカードを毎年贈ってよこした。邦子は「三浦家には、海外に行くことが気にならない気風があった」という。福島学院大教授で、日米の文化交流に活躍するミュージックフロム・ジャパン理事長の三浦尚之はキイ方の子孫に当たる。(敬称略)

(報道部・藍原寛子)
 


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