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◇3◇   【07 5/16掲載】
写真結婚(上)
「写真花嫁」として北米に渡った小山の祖母はつ(写真は後年に撮影)
第3部
排日激化と本県人
 1900年代初め、北米に海外出稼ぎ者として渡った日本人は、働いて得た賃金を日本に送金するために低賃金の重労働もいとわず懸命に働いた。日本で得た資格や知識を生かせず、雇われて農地で働く人が多かったが、働きぶりは勤勉だった。日本人の数が急増すると、「仕事を奪われる」と考えた米国人の間で、日本人排斥(排日)の動きが年々強まっていった。

 大きな動きは1908(明治41)年。前年の日米紳士協定を受けて、ハワイからアメリカ本土に移ることが禁止され、同時に日本からの渡米出稼ぎ労働が禁止された。

 13年、最初に米国に渡った日本人(一世)の土地所有禁止を盛り込んだ外国人土地法が成立、米国生まれの二世名義でなければ土地所有ができなくなった。将来は自分の土地で農業を営みたいという希望を持つ日本人に大きな打撃を与えた。

 排日の動きは、個人の結婚にまで影響した。当時、北米に来た人はほとんどが独身男性だった。異人種間の結婚は法律で認められておらず、独身男性は日本人女性を探さなければならなかった。1900年の国勢調査によると、米本土で結婚できる男性は200人に1人だったという(五明洋著「アメリカは日本をどう報じてきたか」)。

 南カリフォルニア(南加)県人会顧問で、本県人の歴史を調べている小山信吉(二本松市出身)は、排日の理由には「アジア人に対する生理的嫌悪感、出稼ぎ労働者の日本人の生活水準が低かったこと、そして自分たちの職を奪われるという不安があった」と話す。さらに「白人女性と日本人男性が結婚しようとしたが、女性の家族に大反対されて結婚できなかったり、駆け落ちしたという話もある」。

 当時、法律では日本から独身女性を呼び寄せて結婚することは禁止されたが、入籍した妻を呼び寄せることまでは禁じていなかった。そこで盛んに「写真結婚」が行われた。

 「写真結婚」は、現在のお見合い結婚と似ているが、大きく違うのは、本人同士が一度も会わずに写真を見ただけで日本で入籍し、後に女性が渡米する点。親同士が知り合いだったり、知人の紹介などが写真結婚のきっかけになったという。

 小山の祖母はつ(故人)も写真結婚で渡米した。「スーツを着て帽子をかぶり、ポーズをとった男性の写真が日本に送られてきて、それを見た女性は『美男子ですてき。アメリカでは良い仕事をしているのだろう』と思って結婚を決めた人もいたという」と語る。(敬称略)

(報道部・藍原寛子)
 


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