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◇4◇   【07 5/17掲載】
写真結婚(下)
写真結婚で渡米した花嫁たち
(1910年、Courtesy of NJAHS)
第3部
排日激化と本県人
 写真結婚をめぐっては、さまざまな悲喜劇が繰り返された。写真結婚で結ばれた新郎新婦が初めて出会うのは、カリフォルニアのサンフランシスコ港。日本から船で着いた新妻が、夫となる男性と会った瞬間、写真とあまりにもかけはなれた容姿に驚いたということもあった。「自分の夫が想像したよりも体が小さく、かなり年上で、がっかりした女性もいたそうだ」と南カリフォルニア県人会顧問の小山信吉。ただ、写真結婚の裏には悲喜劇があったものの、日本人が北米で家庭を持ち、日系社会を築いたとして評価されている。

 しかし、アメリカ人の間では写真結婚に反対する動きが起きる。日本からの移民労働者の制限を取り決めた紳士協定を破るもので、「日本の女性労働者は主婦を装って入国しつつある」(ユウジ・イチオカ著「一世」)という議論だ。

 そして1919(大正8)年、写真結婚は禁止され、日本人女性が渡米することは不可能になった。翌20年には外国人土地法がさらに厳しくなり、24年には東洋人の移民と、日系一世がアメリカ人としての市民権を得る帰化を禁止する「排日移民法」が制定された。

 20年ごろまでに、ハワイからの転航禁止や移民制限の日米紳士協定、加州土地法制定、写真結婚禁止など、次々に日本人への制約が強まり、在米日本人の数は子どもの誕生などでようやく同水準を維持するという状況だった。
 しかし「加州と福島県人」(佐藤一水著)によると、カリフォルニア州は状況が違った。サンフランシスコ大震災翌年の07年以降に人々がロサンゼルスを含む南カリフォルニアに移り住んだことや、穏和な気候や活発な経済活動に伴って、南カリフォルニアの日本人の人口は増えていった。ロサンゼルスの人口は04年に3478人だったのが26年には2万2732人(男1万4276人、女8556人)と7倍にまで増加。

 日本人協議会や日本人会、各県の県人会、郷友会などが活動を始めた。30年には日系人社会を代表する団体「日系アメリカ人市民協会(JACL)」が発足。

 「南加州日本人七十年史」(同史刊行委員会編)や、南日本新聞などによると、1899年の鹿児島、1906年の滋賀、山口、07年の長野、東京、和歌山、岡山、08年に入って愛媛、熊本、宮城、福島と各県人会が発足。親睦(しんぼく)を深めることで、差別や弾圧に対抗しようとした。(敬称略)

(報道部・藍原寛子)
 


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