米国で日本人排斥(排日)運動が激化した1930(昭和5)年以降から、第2次世界大戦、日米開戦を経て、45年に終戦を迎えるまでの間、米国の日系人は苦難の極みともいえる時代を過ごした。枢軸国(日本、ドイツ、イタリアなど)のうち、西海岸に住む日本人や日系人だけが米国から「敵性外国人」と敵視され、差別と偏見の中で強制立ち退きを迫られた。ある人は強制収容所に入り、ある人は日本へ帰国した。さらには志願して米軍の外人部隊に入り、枢軸国と戦って命を落とした二世もいた。戦争とともに、多くの人生が翻弄(ほんろう)された。戦時下を過ごした本県人の姿を追った。
強制収容所で戦時下/複雑な思いの「帰米二世」
今年、創立100周年を迎える「南カリフォルニア福島県人会(南加県人会)」の中で、戦時下を日系人の強制収容所で過ごした人がいる。1915年9月に米カリフォルニア州のハリウッド近くで生まれた同会顧問の松本弘司(91)。
松本は戦後の73年から75年まで3年間、南加県人会長を務めたほか、日系社会の発展に貢献した功績がたたえられ、90年代に勲五等瑞宝章、大日本農会表彰、ロサンゼルス市二世週日本祭パイオニア表彰、福島県知事功労表彰なども受けた。
大切に「旅券」保管
現在はロサンゼルス市近郊のガーデナ市内の自宅で、近所に住む日本人に詩吟を教えたり、時折訪ねてくる友人と話したり、静かな日々を過ごしている。昨年10月、同市の自宅を訪れると、強制収容所での激動の体験を感じさせない、穏やかな笑みをたたえて迎えてくれた。
「こんなものがあるんですよ」。大切に保管されていた書類を取り出した。4つに折り畳まれた書類を開くと「旅券」の文字。渡米の際のパスポートで、「移民」と記されている。2人分あり、1人はひげを生やした男性の写真が付いている。松本の父松本卯平治のものだ。もう1枚は、3、4歳のかわいらしい男の子の写真が付いている。まだ幼いころの松本の写真だ。
卯平治は安達郡大平村(現二本松市大平)出身で、02年ごろ、出稼ぎ渡航で日本をたった。その時持っていたのがこれらパスポートなどの書類で、外務大臣小村寿太郎の名前と押印がある。
卯平治はハワイに1年ほど滞在した後、米国本土・西海岸のワシントン州シアトル、その後に南に下ってカリフォルニア州ロサンゼルス近郊に移った。渡米当時は独身だったが、一時帰国して妻サト(里子)と結婚。15年に松本が生まれた。
世代交代の時期
卯平治はカリフォルニア州の本県出身の人たちが多く住む場所で、同郷人同士で助け合いながらカーネーションやセロリ、イチゴ、トマトなどを作っていた。米国生まれの松本は、4、5歳になったころ帰国したが、後に家族とともに再渡米した。
最初に海外に渡った人を「一世」、その子を「二世」、孫を「三世」というが、一世の子どもで日本に一時帰国して再渡米した松本のような人々を「帰米二世」という。
戦前、戦後の時期は、一世が二世または帰米二世以降へと世代交代した時期に重なる。松本は、米国で生活を構築しようと努力し続けた一世の姿を見て育っており、帰米二世として、祖国日本と米国への複雑な思いをにじませながら、体験を語り始めた。(敬称略)
(報道部・藍原寛子)
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