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◇4◇   【07 8/9掲載】
試された米国への忠誠
 日系人が暮らしていたマンザナー強制収容所
第4部
日米開戦と日系人
 
 軍の調査官が尋問/隔離、移送された県人も

 第2次世界大戦中、カリフォルニア州に設けられたマンザナー強制収容所で過ごした松本弘司(福島市飯坂町出身)の証言によると、同収容所には日系人が約1万人ぐらいいたのではないか、という。

 収容所の中では事務所の仕事や食堂の調理などの仕事があり、収入を得ることも可能だった。松本は妹とともに食堂で働き、給料は月16ドルほどだったという。終戦近くになると、食糧だけでなく服や日用品などの配給もあった。

 それでも行動範囲が限られている収容所内の生活の窮屈さ、不自由さに変わりはなく、松本は1、2度、施設内での騒動を目撃している。「米国の対応が悪い」と、血気にはやった若者が騒ぎ出し、その騒ぎに驚いた米軍の衛兵が空砲を撃って威嚇した。しかし、入所している日系人に向けて衛兵が銃撃したり、日系人が実際に被弾することはなかったという。この後、入所している人の中から希望者を募り、日系人による自治警察が結成された。これによって所内の治安が保たれ、自治警察が実力行使に出るような場面はなかったという。

 だが、思想的な圧力や検閲は行われた。「収容所の中に米軍の調査官がやってきて、日系二世を対象に『おまえはアメリカ政府と日本政府のどちらに忠誠を尽くすのか、はっきりしろ』と尋問された」

 松本は日米両国の国籍を持ち、祖国は日本と米国の両方。最初に調査官に聞かれたときに松本は「ノー(米国に忠誠は尽くさない)」と答えた。しかしその後、調査官から「米国に忠誠を示さず、いつまでも頑張るのなら、別の収容所に移す」と言われた。

 同州サクラメントの日系人の歴史研究者団体がまとめた「ジャパニーズ・アメリカンズ・イン・ザ・サクラメント・リージョン」によると、米軍は日系人の忠誠心を試すため、主に2つの質問をした。「米軍に従軍する気があるか」「日本の天皇やそのほかの外国軍から米国を守り、米国に絶対的な忠誠を誓うか」という2点。

 排日の差別の苦しみから、両方に「ノー」と答えて書類にサインした本県出身者や、各県人会の役員、日系人のリーダー的役割の人々は危険人物と目されて「ノー・ノー組」などと呼ばれ、ほかの人から隔離するため北カリフォルニアのツールレイク強制収容所などに移送された。

 松本は、戦時下に家族と離れ離れになるのはどうしてもつらく、最後には「イエス(米国に忠誠を誓う)」と言い、家族とともにマンザナー強制収容所にとどまった。(敬称略)

(報道部・藍原寛子)
 


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