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◇5◇   【07 8/10掲載】
収容所の結婚式
 写真家の宮武東洋がマンザナー強制収容所内で撮影した松本と君子の結婚写真
第4部
日米開戦と日系人
 
 即席の式場で門出/宮武東洋が記念写真撮影

 戦時下、カリフォルニア州マンザナーの日系人強制収容所で生活していた松本弘司(福島市飯坂町出身)は、収容所内の食堂で働くうち、親しくなった同僚の女性と結婚を決意した。相手は、ロサンゼルス港沖の小島ターミナル・アイランド生まれで、和歌山県出身の両親を持つ日系二世の岡君子。当時、同県からは漁師が多く米国へ移住しており、君子の両親も漁師だった。

 君子は米国で生まれたため、日本のことはあまり知らなかった。家族とともにターミナル・アイランドで暮らしていたが、日本軍の真珠湾攻撃開始後から24時間もたたないうちにFBIがやってきて「即刻立ち退き」を強制された苦しい体験があった。米国籍がある二世でも顔が日本人だと「ジャップ」と差別語で呼ばれた時代。帰米二世の松本と君子は、互いに身の上話をするうちに意気投合し、共に家庭を築いていこうと誓い合った。

 入所して2年ほどが過ぎたころ、2人は結婚式を挙げた。会場は収容所内の集会場で、教会などとしても使われていた場所。あちこちに花が飾られた即席の式場に家族や友人、収容所の近隣の棟に住む人たちが次々と訪れた。当時としては精いっぱいに盛大な式が行われた。「誰が準備してくれたのか覚えていないが、私はモーニング。妻はケープを付けた白いウエディング・ドレス姿で、手にブーケを持っていた」と松本は話し、当時の結婚式の写真を取り出した。

 出席者は、数少ない手持ちの服の中で一番良い服を着て、胸に花を付けて参列した。収容所内の食堂や病院、雑務で働いて得た月10ドル、あるいは15ドルという少ない給料の中から、2ドル、5ドルというお祝いが2人に渡された。こっそりと焼酎をつくっていた人は、部屋に隠していた焼酎をこの日のために持ってきて出席者に振る舞い、若い2人の門出を祝った。

 結婚式の写真は、米国の日系人を撮影し続けたロサンゼルスの日本人写真家として知られる「宮武東洋男(とよお)」(宮武東洋、トーヨー・ミヤタケ、香川県出身)が担当した。宮武もこの時、家族と一緒にマンザナーの収容所にいた。

 松本によると、宮武はカメラを米当局に押収されることを警戒し、部品を分解して手荷物の中に紛れ込ませた。収容所の生活が落ち着いたころにカメラを組み立て、隠れて撮影したという。その後、日系人からの注文が相次ぎ、最終的には米当局も黙認した形で、宮武は収容所内の貴重なシーンを次々に撮影していった。こうして撮られた松本の結婚写真も、貴重な歴史の1コマとして残されている。(敬称略)

(報道部・藍原寛子)
 


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