前線で大きな貢献/戦後、排日感情大きく変化
日米開戦に伴って、米国で暮らす日本人や日系人は敵国人として見られ、米国への忠誠心を試された。多くの日系人は米本土の強制収容所に入ったが、その一方で米国への忠誠心を誓って、自ら志願して米軍兵士となり、戦地に赴く日系人もいた。南カリフォルニア福島県人会(南加県人会)の顧問小山信吉によると、県人会員で入隊した人の記録は見つからないという。
1965(昭和40)年10月の「布哇(ハワイ)タイムス創刊70周年記念号」(故高橋莞治所蔵、現在は伊達市月舘町史編纂室保管)では、米国に忠誠を誓おうと日系二世が必死で入隊した様子を記した記事がある。
記事はハワイ日本人移民史の一節を引用し「我々(日系2世)は他人種の出来ない勲功を立てる必要がある、その結果は戦死でも構わないのである、戦死は名誉だからである、この名誉はやがて日系人が裏切り者でなかったことの有力な証拠になるのだ」と記している。
ミッドウェー海戦が始まったころ、ハワイの日系二世約1万人による米陸軍第100部隊(大隊、俗称「ワン・プカ・プカ」)が結成された。さらに米本土の二世兵士などによる第442連隊戦闘部隊「フォー・フォーティー・セカンド」と、2つの日系外人部隊が編成された。
両隊は激しい戦いを繰り広げていたヨーロッパ戦線に配置され、枢軸国・ドイツ軍に包囲された米軍第141連隊第一大隊(テキサス大隊)の救出という、重い任務を負う。
その際、日系二世は「Go For Broke(ゴー・フォー・ブローク=当たって砕けろ)」の合言葉で枢軸国軍を突破。「戦死者140人、負傷者1800人」(布哇タイムスより)を出しながらも、仲間を救出する大活躍を成し遂げた。
日系外人部隊は、その後のイタリア戦線でも連合国軍の勝利に貢献、「米国政府への忠誠心を示し、日系人への称賛を勝ち得た」とたたえられた。
戦後、日系二世の功績がたたえられ、ハワイや米国本土における排日感情は大きく変わった。52年には、ようやく日系人が帰化できるようになり、2つの祖国を持つ日系二世が、米国で米国人として生きられるようになった。
親やきょうだいら日系人の権利と名誉を勝ち得るために、親の祖国の日本軍と戦った二世部隊。戦争は、尊い生命を奪い、日系人の間にも深い傷を残した。(敬称略)
(報道部・藍原寛子)
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