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◇6◇   【07 10/4掲載】
派米青年
派米青年
国府田氏を囲む派米青年ら(1956年8月、芳賀三男氏提供)
第5部
戦後から現代の日系人
 
 農業の振興に貢献/人材育成に国府田が尽力
 
 1951(昭和26)年、農林省(現・農林水産省)などは、農村の優秀な中堅青壮年を選抜して米カリフォルニア州に派遣、進んだ農業技術を学ばせ、日本の農村に活力を与える海外派遣農業実習制度を実施。翌52年、「国際農友会」(現・国際農業者交流協会)が設立され、同会が主体となって52年から87年まで計37回、約3000人が派遣された。

 戦後、日系人の権利擁護活動に携わり、日系人の信望を集めたカリフォルニアの「ライスキング」国府田敬三郎(いわき市出身)は、農業実習生を受け入れて人材育成に尽力したほか、多くの農業実習生の受け入れ先探しに奔走した。渡米した日本の若者は当時、人手不足だったカリフォルニアの農業振興に貢献したほか、帰国後に米国で得た資金を活用して起業するなど、米国生活をステップにしてそれぞれの人生を築いた。国府田は国際農友会長の那須皓らとともに、カリフォルニアで農業を営む白人、日系人らのネットワークをつくり、農業青年の配置決定などにも尽力した。

 記念誌「国際農友」(県国際農友会発行)によると、本県では52年7月、国際農友会県支部が設立。翌53年、第1回派米実習生として迎源高(石川町母畑)、欧州派遣で矢吹馨(福島市)、第2回以降の派米実習生としては藤田充(相馬郡)、吉田久(会津坂下町)、満山喜和(大信村)、小泉信郎(いわき市)らが渡った。後に政治家として活躍する金子徳之介(ドイツ派遣)、石原健太郎(ニュージーランド派遣)、小桧山善継(米国派遣)らも海外実習生OB。

 実習生以外の渡米ルートもあった。53年、米国でアイゼンハワー大統領が「難民救済法」に署名、米国外からの移民受け入れを決定した。「農業青年海外派遣事業五十年史」(国際農業者交流協会発行)によると、当初は東欧など共産圏からの政治難民が想定されたが、米国の有力な日系人団体「日系(米国人)市民協会(JACL)」の要望で、日本を含むアジア各国の難民を受け入れることも決定。風水害に遭うなど生活が厳しくなった日本人が米国に移住して行った。本県からは「難民移住者」として宍戸善作(福島市)、遠藤福太郎(国見町)らが渡米した。

 54年以降は米国政府計画に基づく農村青年の交流事業、日米両国政府交渉による「派米農業労務者制度」での派遣が行われた。66年以降には「農業研修生派遣事業」が始まり、2年間の短期で農業研修を受ける若者が太平洋を越えて渡り、カリフォルニアのセロリ畑やイチゴ畑で働いた。(敬称略)

(報道部・藍原寛子)
 


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