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◇8◇   【07 10/6掲載】
田中 啓介
ロサンゼルスのダウンタウンに県観光物産室をオープンさせる田中
第5部
戦後から現代の日系人
 
 ロスに「県物産室」/米国での研修企業に生かす
 
 「故郷福島の自慢の味や民芸品を米国の人たちにも伝えたい」。東京都小平市で国際製菓専門学校や西東京調理師専門学校など専門学校5校を運営する啓倫学園理事長田中啓介(喜多方市山都町出身)は今月27日、米カリフォルニア州ロサンゼルスのダウンタウンにある自社ビル内に、念願の「ロサンゼルス県観光物産室」を自前で開所させる。

 「福島県は私を産み育ててくれた。カリフォルニアが実業家としての礎を築いてくれた」と話す田中。現在、喜多方市ふるさと大使や、東京都小平市県人会名誉理事などを務め、仕事でも日米を行き来する慌ただしい日々を送る。田中は1957(昭和32)年に農業研修生として3年間、カリフォルニアの農場で働いた。

 実家は養蚕農家で、桐(きり)の販売もしており、経済面では比較的恵まれていた。最初は教師になろうと拓殖大の農学科を卒業したが、教師になれず家業を手伝っていた。海外での農業研修に興味があり、農業研修生に応募したところ合格、渡米が実現した。

 当時の日本は食糧難で、「米国で食べ物が豊富なのは魅力的だった。しかし、レストランで値段の高いメニューを注文しても、出てきたのはトウモロコシやニンジン、ジャガイモ、トマトばかり。がっかりした」。

 畑仕事が休みの日にはロサンゼルスのダウンタウンの小東京に繰り出し、日本料理を食べたり、日本の映画を見るのが何よりの息抜きで、長谷川一夫や雪村いづみら訪米した芸能人にも会った。「敗戦国日本の芸能人はばかにされていた。米国人から『日本には車も電話もない』と言われ、『見返してやる』という思いがわいた」と回想する。

 研修期間は1日約10ドル、円換算で約3600円の「高給」。日本での起業を考えた田中は「これからは英語が必要になる。英文タイプを教える学校をつくろう」と、帰国の際に英文タイプライターを20数台持ち帰った。資金が十分でなかったため、最初に飲食店を始めた。

 ところが、ここでも誤算があった。雇った板前の腕前が悪く、店で出している料理がまずい。「板前を養成したほうがよっぽど早い」と調理学校を設立。その後はビジネス、製菓と専門学校を次々に開校し、学校経営に本格的に乗り出した。現在は実業家という立場で、念願だった教育や人材養成に携わる。

 「粘り強く、しかし1度決断したことを後悔しないという生き方は、米国生活から学んだ大切なことの1つ」という。(敬称略)

(報道部・藍原寛子)
 


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