造園業で黙々働く/結婚し2人の息子も独立
友人を助けるために貯金を使い果たしてしまった斎藤彰は、日本への帰国と家庭を持つという目標をあきらめざるを得なかった。失意の中でも、斎藤はガーデナー(造園業者)として黙々と働き続けた。
「日本人のガーデナーはまじめできちんと仕事をしてくれる。正直で、庭の果物や花を取ったり空き巣に入らない」。他国出身のガーデナーに比べて、日系人ガーデナーがカリフォルニアで絶大な信頼を築いたのも、斎藤を含む一人
一人のガーデナーがまじめに仕事をこなしていたからにほかならない。
斎藤が独身時代を過ごしたのは、ロサンゼルスの日本人町から5キロほど離れた場所にあった本県出身者夫妻の経営によるボーディング・ハウス。同ハウスは、数週間から数カ月、長い人では数年間、長期滞在する人のための食事付きの下宿で、ガーデナーとして働く人などさまざまな日本人、日系人が出入りした。
「ボーディング・ハウスにいる人は2通り。稼いだ金を遊びに使い果たして落ちぶれていくか、こつこつ蓄えて新しい世界へと羽ばたいていくか」。そう語る斎藤にとって、ボーディング・ハウスは激動の青春期を過ごした場所であり、さまざまな人間模様を垣間見た場所だった。
1966(昭和41)年、縁あって鹿児島県出身の俊子と結婚。結婚後はアパートに移った。その後も黙々とガーデナーの仕事をこなし、2人の息子を大学に通わせた。
現在は2人とも独立し、長男はパラマウント映画のマーケティング部門の副社長、二男は薬品会社のマネジャーとして活躍している。長男は映画の営業のため世界各国を飛び回り、時折、日本にも立ち寄ることがあるという。
俊子は「ガーデナーをしながら、2人の息子を大学に入れてくれた。本当に素晴らしいこと」と感謝を込めて話した。
斎藤は現在、自分の時間が空いたときなどにガーデナーの仕事を引き受ける「セミ・リタイア」の生活を送っている。まさに悠々自適の生活で、7歳と5歳の孫と一緒に過ごす時間が何よりの楽しみという。
「2人の息子が立派に育ってくれたこと、それが何よりの宝。孫もできて、ようやく人生が落ち着いたという感じ。いろいろ苦労したし、がっかりさせられたこともあったけれど、今が一番幸せ」。しみじみと、かみしめるように語る斎藤の日焼けした横顔は、穏やかな笑みで満たされていた。(敬称略)
(報道部・藍原寛子)
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