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◇11◇   【07 10/10掲載】
85周年当時の会長 熊川
カリフォルニア州オレンジ郡の自宅でくつろぐ熊川一家
第5部
戦後から現代の日系人
 
 世代間交流 促進を/県人会活動、次世代に継承
 
 1993(平成5)年10月、米カリフォルニア州ロサンゼルスの日米劇場で、南カリフォルニア福島県人会(南加県人会)の85周年記念式典が盛大に行われた。当時の会長は現顧問で、親が浪江町出身、米国生まれの日系二世熊川賢三(ケン・熊川)。実行委員長の遠山雄二(喜多方市出身)らが尽力、民謡歌手の原田直之ら著名人が出席してにぎやかな祝宴が催された。

 熊川はカリフォルニア州生まれ。地元の学校を出た後の57年、21歳の時に徴兵され2年間、米軍兵士として従軍した。日本で7カ月の訓練を受けた後、情報部に配属されて朝鮮に渡った。

 父が浪江町出身の南加県人会員で、ほかの会員とも交流があったことなどから、米国を離れる直前に、ライスキングと呼ばれた国府田敬三郎らに激励会を開いてもらった。この時の激励に感激した熊川は「無事に戻ったら、南加県人会のためにできることをしたい」と決意した。

 除隊してカリフォルニアに戻った。就職しようとしたが、当時は日本人や日系人を雇う企業はほとんどなかった。英国系の会社に応募したが「東洋人は雇ったことがない。まずは1カ月、試用で働いてくれ」と言われた。仕事を懸命にこなし、正式採用となった。「今は日系企業も増え、就職できないということはなくなったが、あのころは本当に大変だった」と振り返る。

 現在は、同州オレンジ郡の自宅に妻重(しげ)子、娘のエレンと暮らす。エレンは93年から95年まで、文部省(現文部科学省)の事業で英語指導助手を全国の学校に派遣する「JETプログラム」で、郡山高の英語指導助手として本県に滞在した経験がある。

 エレンは「生徒と過ごした期間はとても楽しかった。さまざまな英語指導法があることを知り、勉強になった」。祖先が生まれ育った福島で暮らした体験は貴重だったという。日本を体験した日系人が少なくなっており、日本の今を伝えられる若い人々は貴重な存在になっている。

 熊川は「県人会が100周年を迎えられたのは、一世の方たちが本当に頑張って生活を築いたから。そのおかげで二世、三世が信頼されるようになった。多くの県人会では若い会員が減り、先人の歴史や伝統が次世代に引き継がれない」と、県人会の高齢化と若い世代の減少を嘆く。「県人会100周年を機に、世代間のコミュニケーション・ギャップを埋めるような活動を盛り上げていきたい」と語る。(敬称略)

(報道部・藍原寛子)
 


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