若松出身ミス日本/美の世界一目指し海渡る
今年5月、日本代表の森理世が日本人では児島明子以来、48年ぶりとなるミスユニバース(ミス世界一)に輝いた。さかのぼること51年前の1956(昭和31)年、本県からも世界一を目指して海を渡った女性がいた。
その女性は、会津若松市出身の野島祥江(旧姓馬場)で、当時20歳。「世界大会出場のため、米カリフォルニア州のロングビーチに行ったのが、初めての海外旅行だった。あのころ、米国は本当に遠い国だった」と思い出を語る。
野島は割烹(かっぽう)旅館の長女に生まれた。兄3人、妹1人の5人きょうだい。市の「ミス若松六花選」で3位になり、ミスユニバース県大会から全国大会に進み、ミス日本に輝いた。世界大会では、残念ながら予選で敗退した。
当時、日系人の生活はまだまだ苦しかった。それでも「故国日本の誇り」と、カリフォルニア在住の県人は故郷福島から来た野島を大歓迎した。南カリフォルニア福島県人会(南加県人会)は活動の記録「南加福島県人住所録」に、同会では毎年恒例で一大事業のピクニック(園遊会)をエリシャンパークで開き、野島を招いたことを記す。盆踊りやバーベキュー、特設舞台での演芸披露などで精いっぱいの激励をした。
「好日和に恵まれ、来会者千数百人。代表者のミス日本歓迎の辞及び馬場嬢の謝辞あり、盛大にして楽しき1日であった」という記録が残る。県人会員が和やかに出迎えた様子が、記録から浮かんでくる。
カリフォルニア州北部で大規模農場を営む同県人会の重鎮、国府田敬三郎もピクニックに参加。その後で、サンフランシスコに2軒しかなかった日本料理店のうちの1軒で歓迎会を開いた。
帰国後、野島は日本のモデル事務所のさきがけである「ファッション・モデル・グループ(FMG)」で、伊東絹子やヘレン・ヒギンズらトップモデルとともに仕事をした。
その後、サンフランシスコの観光名所フィッシャーマンズ・ワーフの一等地にある日本食レストラン「トーキョー・スキヤキ」の共同経営者で、和歌山出身の帰米二世野島昇との縁談が舞い込んだ。「ずっとモデルをやっていこうとは思わなかった。人に見られてステージに立つことが、それほど好きではなかったのかもしれない」という。その一方で「実家が割烹旅館で、レストランなどにも興味があり、自然に飛び込んでいけた」。
ミスユニバース世界大会から1年半後の58年、野島は22歳で結婚し、トーキョー・スキヤキの店に立った。(敬称略)
(報道部・藍原寛子)
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