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◇13◇   【07 10/12掲載】
野島祥江(下)
世界大会で渡米した時の県人会主催のピクニックの記念写真(前列中央、振り袖姿が野島)
第5部
戦後から現代の日系人
 
 日本の良さ再認識/半世紀の幕を下ろし閉店
 
 会津若松市出身の野島祥江(旧姓馬場)がカリフォルニア州のサンフランシスコ在住の帰米二世、野島昇と結婚した1958(昭和33)年当時、日本食は珍しく、食材を手に入れるのも困難な時代だった。「『スキヤキ』は料理のメニューのことではなく、日本料理全体の代名詞。すき焼き、天ぷら、照り焼きチキンが店のメニューになければ日本料理店ではなかった」と野島。

 しょうゆ会社の社長に直接頼んでしょうゆを手に入れ、有名な工務店に設計や建築を依頼して、わざわざ日本から畳を取り寄せてもらって店内に敷くなど、日本を感じてもらえるように努力した。「畳に座っていただくだけで、お客さまが喜んでくださった時代だった」と回顧する。

 朝鮮戦争から帰還した米兵らが「日本に立ち寄ったときに食べた料理がおいしかった」と来店するようになり、米国で日本食ブームが起きた。60年代半ばからは、米国出張や駐在の日本人ビジネスマンが急増。80年代後半は日本のバブル経済到来で、家族旅行の親子連れや、団体旅行のグループ客らが店に殺到した。

 野島は来店した客から、故郷日本の様子を教えてもらったり、日本人の良さを再認識させられることがあったという。

 ある時、日本のテレビ局のスタッフが店に立ち寄り、「番組の撮影で包丁を使うので、貸してほしい」と言って包丁を借りていった。後日、番組に出演した女優の池波志乃が来店し、奥の調理場まで足を運んで板前に包丁を手渡した。「貴重なものをお借りしました。ありがとうございました」と深々と頭を下げた。野島は池波の礼儀正しい態度と丁寧な言葉遣いが今でも忘れられないという。

 店には岸、福田、河野、細川ら歴代首相を始め、著名な作家、芸能人、俳優らが次々に訪れた。本県から訪米した人もいた。「福島の言葉を聞くと、何とも言えない、じんとする温かみを感じた」と野島。トーキョー・スキヤキは2000年、一帯の再開発のため閉店し、半世紀の歴史に幕を閉じた。

 野島の3人の兄のうち、長男は東京で弁当屋の「たごさく」、二男と三男は会津若松の割烹(かっぽう)旅館「田事」、割烹「田季野」をそれぞれ営む。妹もサンフランシスコのジャパンタウンで日本料理店「槙」を切り盛りする。「さまざまなお客さまに出会えて幸せだった。お客さまから教わったことが本当に多かった」。

 野島は現在、夫昇とともに会津若松市で静かな生活を送っている。米国の友人が時折来訪し、思い出話に花を咲かせるのが楽しいという。(敬称略)

(報道部・藍原寛子)
 


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