波涛の向こうにTOP
◇15◇   【07 10/14掲載】
ポール坂内(下)
友人のレーガン(左)と話すポール
第5部
戦後から現代の日系人
 
 県人会の活動支援/「おけいの墓」運動に参加
 
 米カリフォルニア州に渡った坂内作意は、その後も何かと耶麻郡岩月村(現喜多方市岩月)の実家と連絡を取り合い、3歳で父を亡くしためいのミトリの相談に乗っていたという。坂内家の現当主の養作は「坂内家としては、遠い米国に離れて暮らしていても、作意とその息子ポールら一家は同じ坂内家の家族だと考えていた」と振り返る。

 第2次世界大戦中、ポールは米軍の外国人部隊442部隊に入り、フィリピンなどに出向いた。ポールは「ダグラス・マッカーサー司令官から要請を受けてレイテ島に上陸、長い時間を彼と過ごした」と戦中を振り返る。養作によると、ポールの父作意は後々まで、ポールが米軍兵として日本と戦ったことを快く思っていなかったようだ。

 戦後、ポールはGHQ(連合国軍総司令部)に所属、一時厚木基地に滞在した。米国に帰った後はガーデナ市議を経てカリフォルニア州選出の下院議員に当選。銀行頭取、不動産業など政治、経済界で活躍した。米国で生まれた日系3世ながらも本県に親しみを持ち、南カリフォルニア福島県人会(南加県人会)の各種事業にも参加している。

 レーガン大統領が1988(昭和63)年に署名した「市民の自由法(日系米国人補償法)」制定への働き掛けに次いで、日系人の記憶に残るポールの業績は、カリフォルニア州に残る日系人のシンボル「おけいの墓」の保存と史跡指定運動だ。

 69年、同州北部のエルドラド郡コロマにある日本人初の農業移民団「若松コロニー」跡と、その一員だった女性「おけい」の墓を含む一帯が州の史跡に指定された。

 記念碑の落成式典では、当時の州知事レーガンも出席した。

 ポールは墓参などのために3度、喜多方市にある父の実家を訪れている。その際、養作らに「GHQで来日した時は、祖父や父の実家が会津の喜多方だとは知らず、京都の方を探していた」と打ち明けている。

 76年9月、カリフォルニアの南加県人会員が会津若松市を訪問、同市で開かれたおけい墓前祭に参加した。
 同県人会の記録などによると、この時、ポールは同市の背あぶり山の墓を守る活動を続ける「おけい顕彰会」に、州の感謝決議文と米国建国200年記念国旗を訪日団に託したという。

 63年から64年まで南加県人会長も務めた作意は77年に81歳で、母シノは89年に90歳でこの世を去った。(敬称略)

(報道部・藍原寛子)
 


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