不動産業で夢実現/注目される戦後の新時代
「努力すれば報われるのが米国。僕にはそれが合っていた」。表情を引き締めて、平田村出身の芳賀政雄(55)は米国生活を語り始めた。最初の渡米から38年、現在はロサンゼルス郊外で不動産業を営み、2000(平成12)年に全米の不動産専門誌で全米トップ・パフォーマー500に選ばれ、05年には26億4000万円を売り上げた。この間に重ねた苦労は並大抵ではなかった。
5人きょうだいの二男で、家は経済的に苦しく「長男が高校に行っていないのに」「授業料より通学のバス代が高い」と高校進学を断念せざるを得なかった。「金の卵」と言われて県外の工場に就職したが、仕事は流れ作業。高卒の社員とは給料に差があった。
そんな状況に幻滅し、「実力主義の米国なら何かができる」と、ニューヨークまでの片道切符を手に1969年、17歳で渡米した。「当時は情報も少なく、怖いもの知らずだった」という。
現地で小児科の医師の家に住み込みの手伝いを見つけた。昼間は家事、夜は英語学校に通った。2年ほどすると、この医師が「レントゲン技師が不足している。大学に行かせてあげるから資格を取ったらいい」と言ってくれた。芳賀は大きな衝撃を受けた。「どこの馬の骨か分からない人間に、そこまで言ってくれるのか」。同時に、努力すれば報われる米国社会の素晴らしさを実感した。
芳賀は高卒の資格を取るために急ぎ帰国し、横浜にある外国人専用のスポーツクラブの事務をしながら、定時制高校に通った。3年生の時、地理の先生から「大学入学の資格検定(大検)に合格すれば、大学入試が受けられる」と言われ、同検定に合格。その後、再渡米した。
しかしこの時はレントゲン技師にはならず、レストラン、トラック運転手、ホテルの受付などさまざまな仕事をした後、西海岸のロサンゼルスに移り、19年ほど前に資格を得て不動産業を始めた。
再渡米から2年後、日本に残した恋人の弘江と駆け落ち同然で結婚。現在は3人の子どもに恵まれ、妻と長男、二男は仕事のパートナーになっている。「米国では成功も失敗も自分の頑張り次第。米国人の2倍、3倍働いてやっと認められる」。努力の末に成功を勝ち得た自信と芯(しん)の強さが表情に出る。
芳賀は現在、南カリフォルニア福島県人会(南加県人会)でも活動している。「今の成功があるのは、一世の人たちが築いた信頼のおかげ」。不動産業界や日系人の間でも一層の活躍が注目されている。(敬称略)
(報道部・藍原寛子)
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