【平成9年】Jヴィレッジ完成 日本サッカーの一大拠点、憧れの施設!

 
オープニングセレモニーの様子。観客たちが風船を飛ばし、オープンを祝った=1997年7月20日

 サッカー日本代表が「ジョホールバルの歓喜」でワールドカップ(W杯)初出場を決めた1997(平成9)年、本県では日本サッカーの一大拠点が完成した。国内初のサッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」(楢葉町、広野町)。東日本大震災、原発事故による営業休止を経て今年4月20日に全面再開する施設が産声を上げたのは97年7月だった。

 「Jヴィレッジができるのは知っていたが、(一般は)使えないと思っていた」。オープンを翌年に控えた96年秋、副社長だった高田豊治さん(71)らが、利用者確保に向けてダイレクトメールと電話で利用を呼び掛けた際に告げられた一言だ。当時は「日本代表が使う」というイメージが先行した、一般市民にとって羨望(せんぼう)の施設だった。

 施設への憧れは、選手も同じ。2005年から本拠地として活動した元東京電力サッカー部マリーゼのGK増田亜矢子さん(43)は「天然芝で練習できて夢のような施設だった」と振り返る。

 ◆震災乗り越えて復活

 施設の存在意義を激変させたのが、東日本大震災と東電福島第1原発事故だった。10年8月にサッカー利用者総数が100万人を達成した後の発生。11年3月11日を境に、Jヴィレッジは原発事故の対応拠点となった。

 グラウンドには砂利やアスファルトが敷き詰められ、作業員の駐車場や資材置き場に変貌。本県の復旧・復興に向けて必要なことと頭では認識しつつも「芝に敷き詰められた砂利が悔しかった」と増田さん。選手としてではなく、東電社員としてセンターハウス前の草刈りもしたという。

 「再始動を目指している。もう一度戻すことに意味がある」。震災当時、ホテル運営の事務管理をしていた経営企画部企画・管理グループGMの山内正人さん(41)は事故直後、高田前副社長から言われた言葉に心動かされた。当時は全く先の見えない時期だったが、その時から「元の風景に戻る」と信じていた。

 震災から7年4カ月が過ぎた昨年7月、施設の一部が再開した。「戻ってきたという安心感がある。地域のファンを一人でも増やしていく」と山内さん。全天候型練習場、新宿泊棟など、設備は震災前よりも充実した。改元と時を同じくして全面再開する新生Jヴィレッジは、本県の復興を象徴すると同時に、新時代の到来を告げるシンボルにもなるだろう。

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 Jヴィレッジ 1997(平成9)年7月に日本初のサッカーのナショナルトレーニングセンターとして開設。施設面積は約49ヘクタール。観客席付きスタジアムを含め天然芝ピッチ8面、人工芝ピッチ2面、全天候型練習場、雨天練習場、ホテル(総客室数200室)、フィットネスジム、アリーナ、プール、約730台収用の駐車場を備える。今年4月20日に全面再開予定で、JR常磐線Jヴィレッジ駅も同時に開業する。

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 【平成9年の出来事】
 4月・郡山市が中核市に移行
 6月・神戸連続児童殺傷事件で中学3年の少年逮捕
 7月・Jヴィレッジがオープン
 8月・「県民の日」制定
 9月・安達太良山で4人が火山ガス中毒死
10月・磐越道が全線開通
11月・県の公費不正支出が約30億円と報告