【平成14年】大相撲・元大関栃東 決定戦制す!けが乗り越え「初賜杯」

 
優勝決定戦で千代大海(下)を突き落としで破った栃東=2002年1月28日、東京・両国国技館

 角界屈指の技巧派として土俵を沸かせた元大関栃東(現玉ノ井親方)。初優勝をつかんだのは、新大関として臨んだ2002(平成14)年初場所だった。13勝2敗で並んだ千代大海との優勝決定戦では、頭から勢いよく当たってくる相手に、同じく頭で当たりながら左に変化し、首の根元を突き落とした。「それまで積み重ねてきたもの、支えてくれた人たちの顔が浮かんだ」。けがを乗り越え、周囲に支えられた感謝の思いとともに抱いた賜杯だった。

 「大関として勝たなければならない」。その思いで迎えた初場所は、初日から破竹の11連勝を飾った後に連敗。だが、追い掛ける立場になったことで開き直った。

 1敗差のリードを許した千秋楽の直接対決で千代大海を押し出しで制し、もつれこんだ決定戦の大一番でも、驚くほど冷静だった。「相手は当たって押しつけてくるはず。こっちは跳ね上げる」。イメージをもとに立ち合いを決め、突き落としで勝利をたぐりよせた。

 中学から本格的に相撲を始めるのとほぼ同時に「平成」の時代が始まった。高校横綱を獲得し、在学中に父の元関脇栃東(相馬市出身)が師匠の玉ノ井部屋に入門し、初土俵を踏んだ。

 転機となったのは、序ノ口時代の稽古で左足を痛めたけがだ。まわしを取って投げる相撲を得意としていたが「このままでは、またけがをする。おっつける相撲にしなければ」。若乃花(第66代横綱)を見習い、脇を固める相撲に切り替えた。序ノ口から幕内まで全段優勝という、羽黒山以来2人目の快挙も成し遂げた。

 相撲人生はけがとの闘いだった。大関を務めた5年間で計3度の優勝を果たす一方、けがによる休場が重なり関脇に2度陥落。いずれも次の場所で大関に復帰したが、2度の復帰は大相撲でただ一人。最後は脳梗塞の診断を受けて30歳で引退した。「けがもあり、挫折もあった。いろいろなことを経験させてもらったいい相撲人生だった」。引退に悔いはなかった。

 引退後は父が創設した玉ノ井部屋を継ぎ、親方として日々指導に当たっている。父の代から恒例となっている相馬市での夏合宿には、多くの県民が訪れる。「福島は両親の出身地であり第二の故郷。多くの人に応援してもらっている。強い力士を育てて恩返しがしたい」

 間もなく幕を閉じる「平成」を駆け抜けた名力士が、新たな元号を代表する力士を育て上げる日が待ち望まれる。

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 とちあずま 現玉ノ井親方。本名志賀太祐。1976(昭和51)年、東京都生まれ。先代玉ノ井親方(元関脇栃東)の次男。94年九州場所で初土俵。けがで2度大関から関脇に転落したが2度とも復帰。優勝3回。引退後は玉ノ井部屋の親方を務める。42歳。

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 【平成14年の出来事】
1月・大相撲・栃東が初優勝
2月・尾瀬の「長蔵小屋」で廃材の不法投棄が発覚
7月・矢祭町が住民基本台帳ネットワーク不参加を表明
8月・東京電力の原子力発電所でトラブル隠し発覚

 〔国内〕▼サッカー日韓ワールドカップ(W杯)▼初の日朝首脳会談で拉致被害者5人が帰国▼ソルトレークシティー冬季五輪
 〔流行語〕「タマちゃん」「ベッカム様」「拉致」
 〔ヒット曲〕島谷ひとみ「亜麻色の髪の乙女」氷川きよし「きよしのズンドコ節」