【平成15年】県立高男女共学化 福島女→橘...校名・校歌変わったけれど

 
福島女高から男女共学となり、橘高として初めて行われた入学式。女子生徒に交じり約100人の男子生徒が緊張した表情で式に臨んだ=2003年4月

 男女が同じ高校に通い、机を並べて学ぶ―。今では当たり前の光景だが、県内全ての県立高校が男女共学となったのは2003(平成15)年4月のことだった。男女共同参画社会の実現に向けた機運が高まり、県教委は1990年代後半から男子校と女子校を共学に移行。福島女高は03年に橘高に校名を変え、共学に合わせて新校舎も整備された。

 「我が母校 男女共学化へ―賛否両論ある中で」「苦渋の選択から未来へ」。福島女高同窓会が99年12月に発行した臨時号の見出しからは同窓会員の葛藤が伝わってくる。県内初の県立高等女学校でもあり、100年以上の歴史を紡いできた同校では卒業生、在校生を問わず、共学化についての議論が白熱。前同窓会長の清水玲子さん(83)は「当初は年配の人を中心に反対意見が目立った。ただ、話し合いを重ねる中で、性別で分けるのではなく、男女が同じ環境で勉強する方が良いという考えにまとまった」と振り返る。

 同窓会は共学の形式だけにとどまらず、男女平等の意識醸成や21世紀のモデルとなる校舎の改築などを求める意見書を県教委に提出。橘高は新たな教育環境でスタートを切った。

 「男女比はおかしかったが、小、中学校も男女共学だったので抵抗はなかった」。橘高1期生として入学し、現在は南相馬市で公務員として働く田中俊さん(31)は当時を回顧する。1期生は男子約100人に対し、女子は約220人。全校生全体で男子は1割にも満たず、ことあるごとに「男子初」の枕ことばが付けられた。

 共学とともに生まれ変わった校歌を斉唱する際には男子の声が小さく、「居残り練習したのも思い出」と田中さん。運動部の部室も十分に整備されておらず、2年時には環境改善を訴えて「男子初」の生徒会長を務めた。それでも「周囲からの期待を前向きに考えていた。部活や文化祭で精力的に活動する生徒が多く、連帯感のある学年だった」と高校生活に充実感を漂わせる。

 同じく1期生の高橋里美さん(31)は今、生物の教諭として母校に勤務している。「生物学では男女の比率が1対1。学びの機会も均等に与えられることが自然な状態だ」と強調しつつ、「伝統をより良く継承する生徒の姿は今も変わらない」と後輩でもある教え子たちの姿に目を細める。

 共学化を進めた県立高校改革から約20年がたった。現在は深刻な人口減少に伴う統合・再編などで本県の教育行政が再び岐路に立っており、共学化の議論や経過は新たな改革に向けた指針でもある。

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 男女共学化 県教委が県立高校改革として、県内全ての男子校と女子校を対象に実施。1994(平成6)年の富岡を手始めに、福島商、福島西女(現福島西)、福島東、須賀川、須賀川女(現須賀川桐陽)、郡山、白河、白河女(現白河旭)、郡山女(現郡山東)、喜多方女(現喜多方東)、安積、安積女(現安積黎明)、磐城、磐城女(現磐城桜が丘)が共学となり、2003年の福島、福島女(現橘)、相馬、相馬女(現相馬東)で完了した。旧女子校は校名なども変更された。

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 【平成15年の出来事】
4月・東京電力の県内原発全10基止まる
9月・梅雨明け特定できず、農産物不作
10月・須賀川で小6女児連れ去り事件

 〔国内・海外〕▼衆院選で民主躍進、二大政党時代へ▼松井秀喜選手が大リーグ・ヤンキースで活躍▼イラク戦争、フセイン元大統領を拘束
 〔流行語〕「毒まんじゅう」「マニフェスト」
 〔ヒット曲〕SMAP「世界に一つだけの花」森山直太朗「さくら(独唱)」夏川りみ「涙そうそう」