【 前文 】俳人・松尾芭蕉『憧れの地』目指して おくのほそ道の旅程

 

 古今東西、旅に対する人々の憧れは尽きない。先人は旅路の感慨を詩や散文に記し、その作品がさらに人々を旅へと誘う。そんな紀行文学の中でも、根強い人気を誇るのが江戸時代初期の俳人松尾芭蕉(1644~94年)の「おくのほそ道」だ。今年は、芭蕉が本県を含む東北、北陸を巡った「おくのほそ道」の旅から330年。膨大な旅の情報があふれる現代にも、人々を引き付ける芭蕉の旅の魅力とは何だろう。福島民友新聞は、そんな問いへの答えを探しに、芭蕉の足跡をたどる旅に出る。

 春の日差しを浴びて川面がきらめく。遊覧船が、ゆったりと進む。そんな風景の中に座像が一体。川面へ目をやるでもなく、まどろんでいるようにも見える。

 東京都江東区、隅田川のほとり。座像のモデルは、この地で庵(いおり)を結び暮らしていた松尾芭蕉その人である。

 芭蕉は、俳諧を文学として確立した一人。紀行文「おくのほそ道」はその代表作だ。

 1689(元禄2)年、芭蕉は江戸から東北、北陸を巡り、現在の岐阜県大垣市まで約2400キロの道のりを旅をした。白河の関を越え陸奥(現東北地方)の地を目指す、冒険心にも似た憧れをかき立てられての旅立ちだった。

 日数はおよそ150日。この長い旅の感動や旅愁を、自身が詠んだ50の句などを交えつづったのが「おくのほそ道」だ。

 旅の途中には現在の福島県内も訪れた。同年4月20日(陽暦6月7日)、「白河の関」といわれる辺りを越え、歌枕を訪ねながら奥州街道沿いを北上した。そして須賀川、郡山、福島などを経て5月3日、「伊達ノ大木戸」(現国見町付近)を過ぎ現在の宮城県へと抜けている。

 この芭蕉の足跡をたどる旅も、出発点から始める。330年前の3月27日(陽暦5月16日)、芭蕉が旅立った江戸・深川へと向かった。