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   中ノ沢温泉 中山義秀
【10月4日掲載】

笠井 尚
(喜多方市)

 

中山 義秀
 
 中山義秀(なかやま・ぎしゅう)明治33(1900)年岩瀬郡大屋村生まれ、昭和44(1969)年没。小説家。横光利一は友であり、また師でもあった。『厚物咲』で第7回芥川賞。若者から老人までの男女の愛を、奔放ではなく、つつましく描いている。

 

「秋風」が奏でる妻恋記
高原地帯に広がる静かな温泉郷・中ノ沢温泉。古くから湯治場として親しまれ、観光客でにぎわいを見せる
 中山義秀が、最初の妻赤田トシ(敏)を見初めたのは、大正8年8月、猪苗代町の中ノ沢温泉においてであった。早稲田予科2年生で、夏休みを利用して独りで滞在していたのだ。

 義秀はまだ19歳。1歳下のトシに一目惚れし、思い余って彼女の住む坂下町まで追いかけて行った。純情な一途いちずさに心動かされたこともあって、彼女もまた義秀を慕うようになり、翌年4月、娘の身一つで上京し、2人は結ばれたのである。

 作家として認知されるまでに時間がかかった義秀は、三重県や茨城県の中学で教えを執ったが、それはあくまでも妻子を養うためであった。

  そうした幾多の苦節を経て、ようやく陽が射し込もうとしていた矢先に、トシは結核で倒れ、昭和10年6月16日、33歳で帰らぬ人となった。

 義秀にとっては、中ノ沢温泉でのことは、かけがえのない青春の思い出となった。トシが帰った時の光景を、『臺上の月』でわざわざ書いている。

 「私が2階の廊下にたって、その一行の後ろ姿をながめていると、青年達たちの群にとり巻かれながら、彼女のさした真紅のパラソルが谷川べりの坂道をゆらゆらと駅のほうに下ってゆく。私はたまらなくなって、彼女の後を追いかけて行った」

 義秀は『秋風』のなかでも、そのイメージをどこまでもふくらませた。舞台は、やはり、中ノ沢温泉。主人公に、温泉宿の老番頭久八が、面白い昔話を聞かせてくれたのだ。

 8月の上旬、駕籠かごの乗り物で女客が2人宿に着いた。四斗樽たるのような婆さんと、腰が立たない若い女であった。

 婆さんと若い女が温泉に入っていると、樵夫きこり達と一緒になった。乱暴者と相場が決まっているにもかかわらず、婆さんは、その娘の世話を頼み、忙しいからとさっさと温泉場から去ってしまった。
 
 35歳から40歳すぎの男達であったので、わが子の面倒を見るように大事にした。風呂にも、交代で付き添った。その娘は、松子という名であるのも知った。
 
 丸顔に近く、愛嬌あいきょうに富んだ可愛かわいい顔つき。「特徴は彼女の睫毛まつげが深く、眼の大きなことだ」。義秀は、娘時代のトシのことを回想したのだろう。

 お互いの気心が知れるようになったころに、大きな問題が持ちあがった。松子の素性が判明したからだ。もっとも下等な居酒屋の酌婦であった。

 他の湯治客の目が気になり出した久八は、その件を樵夫達に相談した。

 妥協案として、温泉宿から左へ三里ばかり突っ切って下りた所に、温泉小舎があり、そこに移ることが決まった。樵夫達も、一緒に移動するという。

 宿の者達にあいさつをし、松子を含めた七人が歩き出すと、1、2階の廊下に居並んだ見物客の中の子供達が、手をうち声をあげてはやしたてた。

 樵夫達も、陽よけにかぶった饅頭笠まんじゅうがさのてっぺんをおどけた格好で叩たたいてみせた。すでに高原は秋の気配であったが、パラソルがどこまでも鮮かであった。

 「宿の前ははるか下方まで一面のすすき野である。高く穂をだしたすすきが、風の音もないのに野末のあたりを、前後に巻きかえり靡なびきふしている」といったただなかを、「真っ赤なパラソルが一つ、男達に前後を守られながら、傾き傾き遠ざかってゆくのだ」 

 義秀にとってのトシは、松子と同じように、「波にのせられて、ゆるゆると運ばれてゆく、美しい花びらのようだった」のだろう。『秋風』は、妻恋記でもあるわけだから。
 


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