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   西山温泉 つげ義春
【10月18日掲載】

笠井 尚
(喜多方市)

 

つげ 義春
 
 
 つげ義春(つげ・よしはる) 
昭和12(1937)年東京都葛飾区生まれ。漫画家、エッセイスト。昭和28年に貸本屋の単行本でデビュー。昭和39年の『ガロ』創刊時から昭和40年代半ばにかけて「李さん一家」「紅い花」「ねじ式」を発表。孤独さのなかに、素朴な叙情をうたいあげている。

 

切なくも美しい恋の花
つげ義晴が宿泊し、作品の構想などを練った中の湯。周囲には、名作「紅い花」の舞台をほうふつとさせる風情ある景色が広がる
 つげ義春は、団塊の世代にとっては忘れがたい漫画家である。「月刊漫画ガロ」をむさぼるように愛読した者たちは、つげの孤独な魂に触れて、なぜか癒やされたのだった。

 また、代表作の「紅い花」の舞台は、どことなく奥会津の山村を思わせる。会津弁のような方言を、ぶっきらぼうにしゃべる、キクチサヨコやシンデンのマサジは、奥会津のどこにでもいそうな、少女であり、少年だ。

 何恥じらうことのない自然のなかで、少女から大人へと変わっていくキクチサヨコと、それを目撃したマサジの恋心が、切なくも美しい物語に昇華されている。  
 

  つげは、柳津町の西山温泉「中の湯」に、3度ばかり訪れている。「颯爽さっそう旅日記」では、2度目であった、昭和51年6月の時のことを書いている。
 
 「会津若松からすぐ只見線に乗換え柳津下車。そばを食べ、タクシーで西山温泉へ。途中八木沢集落を写真にとる。そこから歩いて1.5キロメートルで温泉に。前に来たことのある中の湯に泊る。新館の立派なのができてしまったが、旧館に泊めてもらう」

 「中の湯」の原忠社長と妻の信子さんは、一風変わった泊まり客だったこともあり、毎回、2泊程度しか滞在しなかったが、つげのことは、印象に残ったという。

 まず口数が少なく、こちらから話しかけなければ、口をひらくことがなかった。

 ぽつんと独りっ切りで、物思いに耽ふけっているという感じだった。一番ビックリしたのは、テーブルの前にでんと坐っているのではなく、片隅の方に隠れるようにしていたことだ。

 何の商売をしている人間かも分からず、後になって売れっ子の漫画家だと聞かされたとか。

 そんな反応を尻目に、つげは、結構満足していたようだ。自分にふさわしい温泉地を見つけた喜びが、漫画の絵からも伝わってくるからだ。

 「中の湯」の建物は、外に面して障子戸であったとか、姉さんかぶりで、掃除をする宿の人、さらには、軒先から飛び出した燕つばめも描かれている。そして、背後には、鬱蒼うっそうとした山が迫っているのだった。

 つげが、もっとも気に入っていたのは、湯殿であったようだ。原社長によると、豪雪でつぶれてしまったので、にわかづくりでこしらえたのだ。

 それでも、コンクリートの浴槽が2つあって、水でうすめるためのホースがすぐ近くにあった。入浴しているのは、少し丸みをおびた、オカッパの少女で、それこそ、「紅い花」のキクチサヨコとイメージが重なる。

 原社長には、娘さんが2人いて、現在跡を継いでいる長女の由美さんが、その時は14歳である。しかも、その当時は、西山温泉あたりでは、小学生が学生帽をかぶっているのが普通だった。

 「紅い花」は、つげが、昭和42年10月号の「月刊漫画ガロ」に発表した短編であったが、もしかすると、初めて西山温泉を訪れたのは、それより前ではなかったか、と勝手に想像してしまった。

 団塊の世代のヒーローであったつげも、70歳に手が届こうとしている。にもかかわらず、その足跡を辿たどりたくなるのは、人間の弱さを背負い込む誠実さがあるからだ。

 つげの学歴は、小学校卒業だけ。対人恐怖症であったために、そば屋の出前持ちで金を稼ぎ、漫画を描き出したのだった。下積みを経験しながら、孤独感に耐え忍んだのである。

 西山温泉の八畳の部屋で、怯おびえていたつげに、オカッパの少女がニコッと微ほほ笑えんだのではないか。

 原社長の話を聞いていると、そうしたほほえましい場面が目に浮かんでくる。 

 


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