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戦後になっては、女の子のセーラー服を着て花を売り歩いたのも、銀座でバーをやっている母の店を賑にぎやかにして、商売に加勢したかったからだ。
しかし、母もまた、簡単に男に身をまかせる女でしかないのを知り、破滅の道を選んだのだ。
久生ならではのトーンは、飯坂温泉を舞台にした現代小説「ところてん」でも共通している。淡々とした語り口ではあっても、世に背を向けているからだ。
パトロンと一緒に飯坂温泉に滞在していた絵描きの主人公は、小文さんという芸妓げいこと親しくなる。小唄の師匠と決め付けて、「お師匠さん」と声をかけてきたのだ。
小文さんは、優しい人で、十綱橋の袂たもとのところてん屋のおばあちゃんからも、「あまりこころがよすぎる」と言われている。時おり癇癪かんしゃくを起こしたり、22歳なのに、お客さんに向かって意見をしたりするのは玉に傷だが、それ位のことがないと、身が持たないと思われるほどのお人好し。
主人公とパトロンが口論しているのにでくわすと、小文さんは、お互いが丸抱えというので、境遇が似ているのを感じとり、好意を示してくれた。
口うるさく言われたので、主人公が頭に来て、制作中の絵を、十綱とつな橋の上から川の中へたたきこんだ。橋杭くいのはしに引っかかったので、石を投げていると、小文さんが、「お師匠さん」は新曲を考えていると、勝手に思い込むのには戸惑ったが。
主人公は、金がないから座敷に呼ぶのは難しい。小文さんは、「あたしの部屋の下の川原で口笛を吹いてくださればそれでいいのよ」と親切心を発揮する。
ただし、時間は夜の12時すぎで、3度口笛を吹くというのが合図になった。
飯坂温泉が闇にとっぷりと浸つかると、そこは別世界となる。「湯気に濡ぬれた川並の柳の葉がゆっくりと雫しずくをたらす音がほとほととはつきりと聞きとられ、風のない蒸し暑い夜は飯坂の夜更けの町が、寝苦しがって寝返りばっかりうっている美しい女の人のようななまめかしい感じになる」。そうでなくても、「ぼくは夜更けの飯坂の町がひどく気に入って、12時すぎに宿を出ては毎夜のようにのそのそと歩きまわった」のだった。
主人公が口笛を吹くと、小文さんは、赤い手摺てすりの所へ姿を現すから、それを確認してから、石垣を登って這はい上がり、そこで、客の膳ぜんからかすめてきた一合五勺しゃくの酒に酔った。
さらに、朝なれば、ところてん屋で落ち合い、小文さんの蝦蟇口がまぐちに10銭入っている時は、ところてんを食べ、なければ、ところてんを見に、川原におりていく。
ところてんは「下手に手で掬すくうとスルリと逃げ出すし、えいと握ると待っていましたとばかり砕けてしまう」こともあって、気楽に見られがちだが、「人生に活用するには2杯酢で食うただひとつのみちがあるだけ」で融通がきかない。
自分たちの境遇と似ているというので、2人してお互いの視線から「困りものだというおもいの色を読みとった」のであった。破滅への予感がうら悲しい。
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