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   木賊温泉と湯ノ花温泉(1)
【4月26日掲載】

笠井 尚
(喜多方市)
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辻 まこと
 
 辻まこと(つじ・まこと) 大正2(1913)年福岡県生まれ、昭和50(1975)年没。画家、エッセイスト。自由人として、風刺画や風刺文を日本アナキスト連盟機関紙「平民新聞」などに発表。山歩きや山スキーの世界でもよく知られ、登山雑誌の表紙を飾ったり、エッセーを投稿。

 

山で孤独な魂と対面
奥会津の秘湯、木賊温泉。素朴な風景が広がる河原の露天風呂=南会津町舘岩観光協会提供
  辻まことの絵を見ていると、彼自身が自画像を描き続けたように思えてならない。猟銃を手に雪道をたった独りで歩いている。山の上にある湖で、たった独りでボートを漕いでいる。あまりにも孤独感にさいなまれてはいないか。

 深閑とした空気を印象づけるように、薄い青や薄い黄緑がバックに塗り込められている。照らし出してくれるのは、月の光だけであった。薄明かりのせいで、かえって見えないものが見えてくるのだろう。

 辻の父親は、ニヒリストの辻潤であり、母親は、関東大震災のどさくさに紛れて、無政府主義者の大杉栄とともに、憲兵隊の甘粕正彦憲兵大尉に殺された伊藤野枝である。
  
 辻は、山に登ることを好んだ。何度も足を踏み入れた場所に、帝釈山系がある。昭和46(1971)年に発刊された「画文集山の声」の「引馬峠」によると、辻は南会津町舘岩の木賊温泉から田代山を経て、帝釈山頂を極めている。

 辻は、午前9時25分、浅草発の東武電車の臨時快速号に乗った。紅葉が見頃みごろの10月15日であった。鬼怒川駅着は11時50分。

 鬼怒川駅から辻は、会津西街道を北上するバスを利用した。「田島までのバスは、会津バスという会社のバスだった。よく掃除され、みがかれていて気持がいい」。観光客は辻だけ。いたって閑散としていた。丸顔の少女の車掌も爽さわやかな感じがした。 

 バスは川治を抜けると、男鹿川に沿った会津へ。さらに独鈷沢、中三依、横川の各集落を過ぎると、会津越えの山王峠にさしかかる。

 その峠で辻は、なぜか身につまされる光景を目にした。若い女が道端で、茫然ぼうぜんと西側の山を眺めている姿が見えたからだ。「成人だがオカッパで大きなカスリの着物をきて、男のように兵子帯をしている」。

 山のなかで孤独な魂と対面するのは、辻にとって異様なことではない。「山で一泊」(1975年刊)の「ヤマノヒト或いは風来仙人のこと」で、帝釈山系に出没していた山男についても触れている。やはり同じような虚うつろな眼(め)をしていた。

 会津では「フーライセンニン」と呼んでいたようで、山の中でバッタリ会った辻は、「寂しい悲しみをおもわせる表情があった」と書いており、はなはだ同情的だった。

 それから陸橋をくぐって三叉路に出て、羽塩の集落から木賊行きのバスに乗り換えた。「バスは息をはずませ、またため息をしながら、薄暮の峠を越える」と辻は描写している。湯ノ花温泉の前を通りかかると、湯気があがっていた。

 終点の木賊温泉には18時30分に到着した。そのときの辻の感想は、絵を描くために、まるでキャンバスに向かっているかのようだ。「空はどこかに月があるらしく、山なみが見えるがここは暗い。バスが灯を消すと、光はなくなってしまった」。その光の加減にこだわるのが辻の画法なのである。

 辻が泊まったのは、木賊温泉でただ一軒の宿である井筒屋だ。モダンな造りではなかったが、それがかえって気に入ったようだ。

 「風呂は一階からさらに一段降りたところ、大きな岩の下から湧き出る温泉を、三方でかこんだコンクリートの湯舟。別に数奇を凝らして造ったわけではないので、いやな感じがしない。河に面したガラス戸を開けると、驚いたことに、河の水面の方が高いくらいだ。温泉は弱い硫黄の味がするが、透明で石鹸(せっけん)もよく溶ける」。

 辻は、そこの主人の橘世志知さんから、田代山の登り口に関してや、帝釈山から引馬峠の路みちのことなどを聞いた。山の情報を教えてもらったのである。
 


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