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桂月が白河の甲子温泉にやってきたのは、退院したばかりの8月上旬。まだまだ中毒の症状が残っていたが、それでも「阿武隈水源の仙境」という紀行文をまとめている。
桂月の一家一族合わせて9人は、午後11時発の夜行で上野を発たって、暁の4時半に白河駅に到着。駅前から馬に乗るつもりだったが、「前夜から注文せざれば弁ぜず」というので、すげなく断られてしまった。
「さらば行ける處ところまでは」と人力車5台を手配し、妻をはじめとする女3人と幼児を乗せ、さらに荷物を積むと、桂月は長男、二男、三男、義理の甥(おい)を引き連れて出発した。
桂月にとっての旅行とは、身体を鍛える運動と同じで、若い頃から、歩くのはたいした苦にはならなかった。「足が丈夫であったから、何どの位歩けるか、足の強さを試してみたいとの考へと、又一つには、旅行に依て身体の健康を助けんとの考へで、矢鱈やたらに旅行したものである」(「旅行と文学」)。
「橋なき川もありて、路悪しく、車行、人行よりもおそし。空曇りて、雨、をりをり到る」という悪条件でも、桂月には妻を気遣う余裕がある。「時鳥数声鳴く。歌の上のみ知りて、まだ実際に聞きたることなき妻に知らせばやと思ひて、その車待ちあはせ、又鳴くかと待てば、生憎鳴かず」。
山が迫りくるあたりで、人力車も引き返した。そこからは全員で歩いた。雨がひどくなってきたが、子馬を連れた牝馬と出会って心が和んだ。「子馬をりをり立とまりて、母馬の乳を飲むさま、いと可憐也」。それを見て四男が笑い出すと、桂月もついつい吹きだしてしまったのだった。
子を連れて我も越えゆく山道に子をつれてくる馬もありけり
「もうすぐもうすぐ」と励ましながら、桂月らが甲子温泉に着いたのは、午後5時のこと。「温泉宿は唯々1軒なるが、凡そ1町の間、左右に2階3階相連なりて」という規模で、「数百人を容るるに足る」とまで書いている。そして、周囲の風景についても、「渓流を餘して、四面みな山。山の傾斜急にして、見渡す限り緑樹鬱蒼うっそうたり」と描写している。
甲子温泉には桂月は20日間にわたって逗留(とうりゅう)した。家族連れで、阿武隈川の源流にある瀧を探勝したり、単身案内人を雇って、甲子山や旭岳にも登っている。
桂月は、断酒宣言をし、酒は出来るだけひかえていたはずだが、酒の香が恋しかったのか、「仙人にならむとしても成り切れぬ凡夫の浅ましき心を」詠んだ歌もつくっている。
下界より酒樽のせて今日や来る明日やと馬の待たれぬる哉
現在の甲子温泉の旅館は、その当時と変わらず大黒屋1軒だけだ。そこを後にしてから桂月は7年の命であった。それを知っていたかのように、暇があると旅行した。
甲子温泉を「阿武隈川水源の仙境」と名づけた桂月は、「杖頭の銭あれば則ち飄然として行き、銭つきて帰る」(「一簑一笠」)をモットーにした。仙境を探しあてるには、歩くしかなかったのである。
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