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   湯野上温泉 室井光広
【6月7日掲載】

笠井 尚
(喜多方市)
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室井 光広
 
室井光広(むろい・みつひろ)
昭和30(1955)年下郷町生まれ、小説家、評論家。第111回芥川賞受賞。「森の闇にほのみえる幻郷」である奥会津が中心テーマ。虚実が入り混じった世界を描いて、忘れられた土俗の神々に目を向ける。

 

奥会津に神秘の世界
神秘的な世界の舞台になった湯野上温泉
室井光広さんの根っこにあるのは、奥会津の土俗性へのこだわりではないか。小説「おどるでく」も、出身地の下郷町が舞台になっている。とくに、大川渓谷の湯野上温泉に、神秘的な世界を想定し、「スマッコワラシ」の影を追い求めている。

 主人公が茅葺(かやぶき)の生家2階の「スマッコ」からロシア字日記を見つけ、「おどるでく」という言葉が何度も出てくるのに気付いた。「おどるでく」にこめられているのは、「忘却サレタ事物ヲ正当ニ思イ出サナケレバナラナイ」という切ない思いなのだが、それを小説の形式で表現したのである。

 主人公は、奥山の分校を4年生まで出てから、5年生から街の学校に通った。そこで知り合いになったのが仮名書露文氏で、「山霊商店街」の裏通りの毒消屋の息子。ロシア字日記の執筆者と目される。
 

 しかし、室井さんが、ラテンアメリカ文学の旗手、ボルヘスにならったとすれば、「書物がすでに存在すると見せかけて、要約か解説を差し出す」ということになり、主人公が勝手につくりあげた人物なのだろう。

 また、小説では、高校生になってから、その2人の結び付きの中心にいたのが、東洋思想研究会を立ち上げた肥田到さんであった。到さんには妹のサチ子さんがいた。

 室井さんの実家は、昭和村に向かう志源行地区にあり、辺地の分校で学んだこともあった。東洋思想研究会も、昭和45(1970)年頃の会津高校に実在したサークルである。

 到さんから主人公が任せられていたという、私鉄京王線の分倍河原駅から徒歩10分の私塾も、私が実際に室井さんを訪ねて1泊したことがある。

 主人公と、露文氏と到さんの3人で、萱刈りのアルバイトをし、サキ子さんがそれを写生したが、「木霊の宿」の景観復興のために駆り出されたのであれば、大内宿をすぐに想像してしまう。「生家の隣村が観光地として脚光を浴びつつあるため、いったんトタンやカワラ葺きにした家々の屋根も景観統一の上から全部萱葺きにもどす計画が浮上、急遽きゅうきょ大量の萱が必要となったのだが、この”かるかや”運動の中心にいたのが到さんだった」。

 湯野上温泉と思われる旅館が描かれているのは、主人公が東京の知人を「霧下温泉」の「ぶっつあり亭」に招待した個所である。

 知人は、ザシキワラシの会津版「スマッコワラシ」が姿を現す温泉旅館に興味を示し、それでわざわざやって来た。かるかや商事の到さんが、車での案内をかってでてくれた。

 宮沢賢治が盛岡市をイーハトーブと呼んだように、架空の地名を付けたが、そのネーミングによって、かえって土俗性が浮かび上がってくる。

 江戸宿場さながらの「木霊の宿」や、いくつもの奇岩が屏風(びょうぶ)のように切り立つ「ママの河原」、さらに、「霧下温泉」の3つくらいしか観光地はないが、温泉に向かう途中、2つの名所に寄った。「ママの河原」は、「塔のへつり」のことである。「急な坂や切り立つ崖がけ」を「ママ」ということから付けた。

 「ぶっつあり亭」の名物「吹き抜きの湯」は、川の縁のぎりぎりまで降りきったところにある。露天風呂は、大小の「もの云う石」が積み上げてある。長い長い階段の途中に、「スマッコワラシ」が出没するような踊り場があって、「吹き抜きの湯」が一部見渡せる。

 到さんは、「負っつありたかったら負っつあれよ」と山肌に向かって大声で叫ぶと、「スマッコワラシ」が夜ふけにやって来ると信じていた。負ぶって帰ると裕福になるという伝説を信じたくなるのが、奥会津の湯野上温泉、いや「霧下温泉」なのである。

 


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