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「ある女の遠景」では、九谷継子は、以前、父方の叔母伊勢子を弄もてあそんだ男で、やり手の代議士である泉中と恋仲になる。騙だまされ続けて、深く傷ついた伊勢子の場合は、思いあまって死を選んだ。
伊勢子同様、継子もズルズルと引きずられてしまったのは、暴力的な性に屈服したからだ。年端のいかない子供であった時に、泉中に無理に唇を奪われた。それが後になっても尾を引いたのである。
継子は、伊勢子の死に興味を抱いた。そして、継子は、残された日記によって、伊勢子を追い回した、Nという男の存在を突き止めた。
泉中に相手にされなかった時に、慰めてくれる男がいて、やはり情事に耽ふけっていた。一人の男に振り回されたわけではなかったのだ。
伊勢子の最終の地となったのが、猫啼温線であった。和泉式部伝説に心惹ひかれたのだった。人妻でありながら、天皇の第三皇子為尊親王と恋に落ちた和泉式部は、為尊親王が亡くなると、同腹の弟帥の宮とも深い関係になった。帥の宮との間には子供までできたが、同じく若くして世を去った。「和泉式部日記」は、そうした奔放な恋の思い出が綴つづられている。
その伝説によると、和泉式部は、石川町曲木の小和清水で生まれた。父母とは早く別れて、母の妹の叔母夫婦に育てられた。13歳の頃、叔父に手籠てごめにされてしまった。叔母の嫉妬でいられなくなり、猫啼温泉の付近に追いやられた。連れていた猫がケガをしたが、そこの温泉で傷口を洗って完治した。和泉式部は、その後都に上って、多情な歌人としての運命を辿たどったという。
継子と叔母伊勢子、さらに、和泉式部は、したたかに女を生きた。井筒屋の湯で継子が不思議な体験をしたのは、伊勢子や和泉式部と同じ血が流れているからだろう。「継子の眼には浴あみする式部の肌が見えて来た」り、「脱衣場との境のダイヤ硝子に、向こうから裸の女が歩いてきて、それがまざまざとシルエットになった。一瞬その女が、右手の肘に、まっ黒な子猫を抱いているように見えた」。伊勢子の声がしたような気もした。
また、継子は、猫啼温泉で猫の飼い主である老婦人とも知り合いになった。神通力によって、「その人の背うしろに、遠い景色がでますんですよ」と話しかけられたが、未来を予測するのは拒否した。結末は破滅的であっても、歩けるだけ歩くしかなかったからだ。
舟橋の耽美的な小説は、道徳的には許されない世界を描いているが、毒をあおる勇気も必要なのである。猫啼温泉で舟橋は、和泉式部に促されるようにして、継子や伊勢子を創作した。舟橋にとって美は、壊れやすいからこそ美なのである。
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