ふくしまのいで湯と作家たちTOP
   二岐温泉 つげ義春
【11月22日掲載】

笠井 尚
(喜多方市)
▽8

 

 

つげ 義春 
 
  つげ義春(つげ・よしはる)昭和12(1937)年東京都葛飾区生まれ。漫画家、エッセイスト。昭和28年に貸本屋の単行本でデビュー。昭和39年の『ガロ』創刊時から昭和40年代半ばにかけて「李さん一家」「紅い花」「ねじ式」を発表。孤独さのなかに、素朴な叙情をうたいあげている。

 

憧れ探し求めた桃源郷
つげ義春の旅心をかなえ、作品の舞台にもなった二岐温泉、紅葉に彩られ、隠れ里のように鄙びた湯治場の露天風呂
 つげ義春にとっての温泉の旅は、心が煩わずらわされないことであった。

 しんみりとした気分に浸り、母胎のような自然のなかでくつろぐことができれば、リフレッシュされるからだ。

 豪華な温泉街を望んだのではなかった。「世の中から見捨てられたような貧しげで粗末で惨めな風景」でなければならなかった。

 つげの旅心をかなえてくれたのが、岩瀬郡天栄村の二岐温泉であった。 

   昭和42年10月にそこを訪ねたことがきっかけとなり、昭和43年2月号の漫画月刊誌『ガロ』に、「二岐渓谷」を発表した。



 主人公は、紅葉をながめながら旅をしようと東北地方を回ったが、シーズンが終わりかけていたので、奥会津に足を踏み入れ、そこから二岐温泉を目指した。

 「福島県あたりならまださかりだろうと思い、会津線の湯野上から鶴沼川を遡さかのぼり、さらに支流の二岐渓谷沿いをテクテク登っていたら、ここも紅葉が始まっていた」

 そして、隠れ里のように鄙ひなびた湯治場として、「5軒の宿屋が崖がけにしがみつくように点在している」のに魅了された。

 宿泊先を決めるにも、自炊客相手の小さな食料品の店主に「このあたりで一番貧しそうな宿はどこですかね」と尋ね、谷底に位置する湯小屋を紹介してもらった。

 どこが玄関かもはっきりしない、粗末な宿であった。建物そのものが傾いていて、掘っ建て小屋と言っても過言ではない。つげと思われる主人公は、かえって、そこに心ひかれたのだった。

 たまたま、そこの主人であるお爺さんは、冬支度の最中。湯小屋命名の由来が書いてある玄関口で、お婆さんからお茶のもてなしを受け、今年最後の客として泊めてもらうことができたのである。

 渓谷にはイワナもいたが、産卵期にあたっていたため、大物を釣り上げる夢はかなわなかった。それでも、夕飯の前に、川沿いの露天風呂に入っていると、先着がいて、何と猿であった。

 野生のケモノは、滅多めったに人前には現れない。病気やケガで弱った時だけ、温泉を利用するのだという。

 猛烈な台風によって、その猿は流木の上で孤立し、助けを求めて泣き叫ぶが、もはや手のほどこしようがなかった。主人公は、布団のなかで、泣き声に耳を傾けてみたが、いつしか途切れてしまった。

 台風が去ると、景色は一変した。「紅葉はいっきに吹き飛ばされ、丸坊主にされた。灰色の山やまは、寒ざむと肩をすくめ合うように、急にだらしなく見えた」のである。濁流で露天風呂も土砂に埋もれてしまった。

 そうした野趣な暮らしぶりこそが、つげが探し求めていた桃源郷であったのではなかろうか。

 「二岐渓谷」の作品を読んで、湯小屋を訪れる人は、今でも後をたたない。そこに登場するお爺さんやお婆さん、犬のコースケ、「あんちゃ」と語りかけてくる孫娘に会いたくなるからだ。

 しかし、お爺さんの息子で、つげとの交流があった星卓司さんがこの夏亡くなった。もはや、思い出を語る人はいなくなってしまったが、傾いた建物や露天風呂は、以前のままである。

 2年ほど前に星さんから譲り受け、湯小屋の管理にあたっている白河市在住の竹内勝一さんも、「私を含めて4人で共同経営をしていますが、つげファンの多さには驚くばかりです」と語る。

 夜に取材に出かけたために、湯小屋の玄関口に灯(とも)る裸電球に、つげがそうであったように、私もまた、温ぬくもりを感じてならなかった。

 


〒960-8648 福島県福島市柳町4の29
ネットワーク上の著作権(日本新聞協会)
国内外のニュースは共同通信社の配信を受けています。

このサイトに記載された記事及び画像の無断転載を禁じます。copyright(c) 2001-2004 THE FUKUSHIMA MINYU SHIMBUN